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  <title type="text">GLA随想のコピー</title>
  <subtitle type="html">「GLA随想」は2013年5月～2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。</subtitle>
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  <updated>2014-05-08T14:07:44+09:00</updated>
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    <published>2014-04-22T15:37:20+09:00</published> 
    <updated>2014-04-22T15:37:20+09:00</updated> 
    <category term="霊操行" label="霊操行" />
    <title>関芳郎氏の使命についての再考</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<p>　このブログでは、関芳郎氏は「佳子先生をお証する」という使命を持っておられるという考えを述べてきました。これは、「どうか佳子の事を証して下さい」という信次先生のお言葉を根拠にするものであるため間違い無いものと思われます。また、その具体的方法として、「GLAと法華経の関係を明らかにする」ということも部分的には正しいのではないかと思われます。</p>

<p>　しかし、改めて考えますと、関芳郎氏の使命は二段構成になっており、最初の第一段階では「霊操行の果報を証明する」ことが使命であり、「GLAと法華経の関係を明らかにする」ことは次の第二段階の使命ではないかと思われました。そこで、第一段階の使命について考えておりますことを述べてみたいと思います。</p>

<p>　以前に述べましたように、メシヤと一体化するという意味での霊操行はキリスト教成立以前の太古の昔から存在していたものと考えられます。しかし、今日のGLAにおいて霊操行が霊操行として成立するのは、「佳子先生の言霊が、魂の本来の感性を恢復してゆく力を湛えている」という事が根拠になっています。従って、「霊操行の果報を証明する」という事は「佳子先生の言霊の力を証明する」という事であり、「佳子先生をお証する」という事に他ならないのではないかと思われます。</p>

<p>　次に、霊操行の果報を証明するために何が必要であるのかを考えてみたいと思います。霊操行に取り組んだ人が智慧深い具現を果たしたとして、それによって果報が証明されるのかと考えてみますと、そこには若干の疑問が残ります。その人の智慧は、霊操行に取り組む以前から備わっていたものであるかもしれないからです。疑問の余地が無い形で霊操行の果報を証明するためには、霊操行に取り組む前後の状態を明らかにし、両者を対比してゆく必要があるのではないでしょうか。</p>

<p>　そのように考えますと、関芳郎氏には、霊操行の果報を証明するために最適な条件が整えられていることに気付かされます。このブログでは関芳郎氏が果たしてこられたことの様々な問題点について述べてきました。その多くはGLA誌、GLAのホームページなど、客観的に確認できる情報として残されています。これらの問題点は、全て「霊操行に取り組む前の状態」を示すものではないでしょうか。</p>

<p>　従って、彼が霊操行に取り組まれるならば、「霊操行に取り組んだ後の状態」というものも、やはり客観的に確認できる情報として残されてゆくでしょう。このように、霊操行に取り組む前後の状態が記録に残っていると、霊操行の果報というものを疑問の余地が無い形で示すことができるのではないでしょうか。佳子先生が関芳郎氏を総合本部長に任命されたのは、このような理由に基づくものではないかと思えてきました。総合本部長であるからこそ、霊操行に取り組んだか否かが具体的な形となって現れやすく、また、取り組まない限り恥をかき続けることになると思われるためです。</p>

<p>　この第一段階の使命を果たしてゆくことは、第二段階の使命を果たしてゆくための前提でもあると思われます。法華経には、天上界からの啓示としか思えない叡智に満ちた部分と、そうではない部分とが含まれており、いわば玉石混交の状態にあります。玉と石を選りわけて玉を磨いてゆかなければその真価を示すことはできないでしょう。そのためには、天上の波動に共感する感性を育まなければならず、感性を育むために霊操行は欠かせないものではないかと思われるためです。</p>]]> 
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    <published>2014-04-16T14:33:47+09:00</published> 
    <updated>2014-04-16T14:33:47+09:00</updated> 
    <category term="霊操行" label="霊操行" />
    <title>霊操行と自由な意見交換について</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<p>　このブログでは、会員の皆様の発心によってFacebookページを創設し、GLAの方針について自由な意見交換をして頂く必要性を述べてきました。また、会員の皆様に霊操行に取り組んで頂く必要性についても述べてきました。これら二つのテーマには、深い関係があるのではないかと思われます。</p>

<p>　まず、霊操行を軽視して自由な意見交換のみを実現してゆけばどうなるかを考えてみますと、それは単なる合議制の導入という事で終わってしまう可能性があります。現状のGLAの方針やGLAホームページの内容には、あまりにもおかしなものが散見されます。単に合議制を導入しただけであっても、これらの内容を多くの方々にとって首肯できる内容に修正してゆく事は可能ではないかと思われますが、神意に適った高次元の方針を打ち出してゆくことは困難ではないでしょうか。</p>

<p>　逆に、自由な意見交換の場を実現せず、霊操行のみを重視すればどうなるかを考えてみます。霊操行によって、確かに神意・青写真にアクセスする力を育むことはできますが、一人または数人程度の弟子の力では、どうしても具現のレベルが下がってしまうのではないでしょうか。つまり、「大体の方向性として正しいヴィジョン」を描くことは可能であると思いますが、佳子先生のように細部まで漏れのないヴィジョンを描くことは難しいのではないでしょうか。しかし、この点は多くの人が自由に意見交換する事によって補ってゆけるのではないかと思われます。</p>

<p>　このように、佳子先生の具現のレベルに弟子が挑戦してゆくためには、「霊操行」と「自由な意見交換」という二つの要素を充足する事が必要であり、何れが欠けても挑戦を果たせないのではないでしょうか。それゆえ、これら二つの要素を充足してゆくことは、千年の伝承を果たしてゆくための条件でもあると思えます。</p>]]> 
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    <published>2014-04-14T15:54:36+09:00</published> 
    <updated>2014-04-14T15:54:36+09:00</updated> 
    <category term="霊操行" label="霊操行" />
    <title>再び、霊操行の必要性について（５）</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<p>　「GLA随想８：霊操行のご提案」のレポートの「霊操行の深化」の節について、若干の追加説明をさせて頂きます。</p>

<p>　同節では、私たちが認識できる「佳子先生の御心」とは、自分自身の人生の基盤を通して歪められ、自らの器によって狭められたものであり、実際の佳子先生の御心とは程遠く、むしろ自分自身の意識の状態を色濃く反映した虚像のようなものである、と述べました。</p>

<p>　その具体例として、インターネット上の誹謗中傷投稿に対してGLAのホームページに掲載されたQ&amp;Aの事を考えてみるとよろしいのではないでしょうか。このQ&amp;Aを書いた人や、このQ&amp;Aを読んで疑問を抱かなかった人の意識には、佳子先生のお姿がどのように映っていたのでしょうか。それは、例えば「誹謗中傷投稿によって心を痛めている会員の皆様の事を思い遣って下さり、投稿者に法的措置を講じて懲らしめて下さる佳子先生」のようなものではなかったかと思います。霊操行によってこのような“了見の狭い佳子先生”と一体化することは、何の進歩も望めないばかりか「了見の狭い想念を固定化する」という点で、かえって弊害のほうが大きくなるのではないかと思われます。</p>

<p>　「GLA随想８」のレポートでは、霊操行の題材を「御著書」「GLA誌の記事」「反芻用として指定された御映像」の中から選択するという考えを述べましたが、それは、このような題材に掲載されているお言葉は誤解が生じにくいように考慮されているものと思われ、上述のような弊害が避けられるのではないかと思われたためです。</p>

<p>　しかし、上述のQ&amp;Aを読んで疑問を抱かないような人は、何か根本的なところで想念の働かせ方に問題があり、仮に題材を限定したとしても霊操行の効果が現れにくいのではないかと考えなおしました。このような人が想念の働かせ方の根本的なところにメスを入れてゆくためには、他者視点を導入することが最善ではないかと思われます。具体的には、周囲の方々に協力をお願いし、切磋琢磨の行や聞く・吸い込む・変わるの行などに取り組むことが必要ではないでしょうか。</p>

<p>　周囲の方々の指摘に基づいて自分自身の想念の働かせ方の問題点を知ってゆけば、自分自身の意識に映った“佳子先生の御心”が如何に歪んで現実離れしているものであるのか自覚してゆけるようになるのではないでしょうか。その点を修正してゆけば、霊操行によって本来の果報を頂くことが期待できるようになるものと思われます。</p>]]> 
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    <published>2014-04-11T16:05:49+09:00</published> 
    <updated>2014-04-11T16:05:49+09:00</updated> 
    <category term="霊操行" label="霊操行" />
    <title>再び、霊操行の必要性について（４）</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<p>　前記事では、霊操行の果報として、「本来的ではない心の働かせ方を弁別する感性が育まれる」という事を挙げましたが、その具体例を紹介した上で、その側面から霊操行の必要性について、さらに考えてみたいと思います。</p>

<p>　2006年のことでした。インターネット上で「信次先生は何人かの弟子について大天使であるとおっしゃった」という趣旨の記事を発信された方がおられました。その方に対し、関芳郎氏が記事の削除を求める警告状を出されたということです。勿論、私は警告状そのものを確認したことはありませんが、発信者の方によると、「そのような事を書かれると、迷ってしまう人が出てくるから」というのが削除を求める理由であったということです。そうしますと、この記事の内容は真実であったのではないかと私には思われました。</p>

<p>　信次先生のお言葉の謎を解くために「大天使」と呼ばれた人々の様子を拝見しておりますと、どうも全員が増長慢に陥っていたのではないかと思われました。その時、私は信次先生のお言葉の意味について、一つの気づきを頂きました。気づきの内容は、人間の内界のエネルギーの流れそのものであって、言葉としては表わしにくいものですが、敢えて言葉として表すと、次のようになります。</p>

<p>　「この人々が増長慢に陥ったのは、信次先生のお言葉が契機になったように見受けられる。しかし、増長慢に陥った真の原因は、本人が元々増長慢に陥るような傾向を抱えていたからであり、信次先生のお言葉は単なる縁に過ぎないものである」</p>

<p>　但し、この短い言葉では、大多数の人は意味を理解できないのではないかと思われました。どのようにすれば理解して頂けるのか、色々検討した結果が「GLA随想３：法の継承時の鍛錬」のレポートという形になりました。このことから、神理を説くためには、次の二つの側面が必要になることが解ります。<br />　A：言葉として表しにくいエネルギーの流れを把握する<br />　B：把握したエネルギーの流れを解り易い言葉で説明する</p>

<p>　A,Bのうち何れの側面が難しいかと言えば、本来はBの側面の方がはるかに難しいはずです。しかし、私の場合、Bの側面についてさほど困難さを感じませんでした。これは、魂の因果律、止観シートなどの基礎を佳子先生が既に整えて下さっていたためです。このように、Bの側面については既に相当の準備が整っているため、Aの側面さえ果たせば、弟子が神理を説いてゆくことができるのではないでしょうか。</p>

<p>　法の継承時の鍛錬について、私がAの側面を果たした（エネルギーの流れを把握できた）理由は、霊操行によって「本来的ではない心の働かせ方を弁別する感性」を育んできたからではないかと思います。それは、今生の人生のみならず、過去世からの取り組みの蓄積という事になります。一方、信次先生のお言葉の事を最初から知っておられた方々は、３０年に渡って意味を考え続けてこられたのではないでしょうか。３０年かけても解らなかったという事は、「霊操行によって感性を育まない限り、どれだけ考えても解らない」と言いきってよろしいのではないでしょうか。</p>

<p>　前記事にも述べましたように、神理を世界に広め千年の伝承を果たしてゆくためには、土地と時代の風土に応じて神理を説き直す「ローカライズ」という事が不可欠であると考えられます。そのためには、その土地と時代に流れる、言葉には表し難い「エネルギーの流れ」を掴んでゆく必要があり、それが果たせて初めて、どのような言葉で説明すべきかを検討することができるのではないでしょうか。</p>

<p>　結局、「エネルギーの流れ」を掴めない限り何も果たすことができないように思いますが、そのための感性は、霊操行に取りまない限り育む事が難しいのではないかと思われます。</p>]]> 
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    <published>2014-04-10T15:34:22+09:00</published> 
    <updated>2014-04-10T15:34:22+09:00</updated> 
    <category term="霊操行" label="霊操行" />
    <title>再び、霊操行の必要性について（３）</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<p>　霊操行の果報として、「本来的な方向に心を働かせてゆく感性が育まれる」という事が挙げられますが、これは同時に「本来的ではない心の働かせ方を弁別する感性も育まれる」という事になります。</p>

<p>　これら二つの感性は、普通の人が「何となくおかしい」としか感じられない事や、そもそもおかしいと感じられない事に対して、「何がどのようにおかいいのか」という困の次元の本質を見抜き説明できる力として現れ、また、「どのようにしてゆけば良いのか」という処方箋を描く力として現れるように思われます。</p>

<p>　このブログにて再三述べてきたことですが、神理を世界に広め千年の伝承を果たしてゆくためには、土地と時代の風土に応じて神理を説き直す「ローカライズ」という事が不可欠であると考えられます。これは、現代日本とは全く異なる条件下で困の次元の本質を見抜き、処方箋を提示してゆくということであり、それを果たす力を育むためには、霊操行以外に方法は無いのではないかと思われます。</p>

<p>　また、過去世の修行によって既にその力を育んでいる人であっても、今生の人生で霊操行に取り組まない限り、その力を思い出してゆくことは難しいのではないでしょうか。結局、霊操行に取り組まない人は千年の伝承の担い手になる事は難しく、多くの人が霊操行に取り組まれる事によって、伝承を果たしてゆく道が拓けてゆくのではないかと私は考えます。</p>]]> 
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    <published>2014-04-07T16:31:17+09:00</published> 
    <updated>2014-04-07T16:31:17+09:00</updated> 
    <category term="霊操行" label="霊操行" />
    <title>再び、霊操行の必要性について（２）</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<p>　多くの方々が霊操行に取り組まれた場合に予想されることについて考えてみたいと思います。</p>

<p>　霊操行による果報は、人によって大きな差が生じるのではないかと私は考えています。つまり、ある人は少し取り組んだだけであっても大きな果報が現れるのに対し、別の人は何年取り組んでもなかなか果報を実感できない、という現象が生じるのではないでしょうか。</p>

<p>　果報に差が生じる原因は、過去世における取り組みに差があるためであると考えられます。つまり、前者の人は過去世においても霊操行に取り組まれた人であり、過去世に獲得した境地を「思い出す」ことによって早期に果報が現れるのでしょう。一方、後者の人は過去世の蓄積があまり無いために果報が現れにくいのではないかと思われます。</p>

<p>　「GLA随想８」のレポートでは、アッシジのフランシスコの例を挙げて霊操行の大切さについて述べましたので、「霊操行の起源はアッシジのフランシスコである」と思われている方も多いかもしれません。しかし、メシヤとの一体化を深めてゆく霊操行は、キリスト教が成立する以前の太古の昔から存在していたものと思われ、「過去世からの蓄積」という点では大きな個人差が生じているのではないかと思われます。</p>

<p>　しかし、この事は、逆に考えると、なかなか果報を実感できない人にとっても希望になるのではないでしょうか。霊操行は難しい行であるため、何年取り組んでもなかなか果報を実感できないかもしれません。しかし、今生の取り組みは、魂の記憶として蓄積され、来世につながってゆくものではないでしょうか。</p>

<p>　また、過去世に霊操行に取り組まれた実績が無かった方々についても、今生は霊操行を始めてゆく最高の環境が整っているのではないかと考えます。仮に、霊操行の対象として「イエス・キリスト」を選ぶとどうなるかを考えて頂きたいと思います。福音書に残されているイエス・キリストの言葉は非常に少なく、また、その内容がどこまで正確であるのかよく解らない面があります。これで霊操行に取り組むのは、かなり厳しいと言わざるを得ません。しかし、GLAが誕生する以前の時代は、そのような困難を引き受けながら実践してゆく以外に道は無かったのではないでしょうか。その点、現在であれば、充分な分量の佳子先生のお言葉が極めて正確な形で残されています。これは、霊操行を始めようとする人にとって、これ以上は望めない最高の環境ではないでしょうか。</p>]]> 
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    <published>2014-04-04T11:13:06+09:00</published> 
    <updated>2014-04-04T11:13:06+09:00</updated> 
    <category term="霊操行" label="霊操行" />
    <title>再び、霊操行の必要性について</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<p>　前記事を書いた後に、ふと思ったことがありました。「生活・人生のサポート」のページは、正にGLAの未来の姿を映す鏡ではないかということです。このページのプロローグのように、佳子先生が残されたお言葉は、何も変えられることなく、そのままの形で社会に発信され続けるでしょう。それと同時に、弟子が果たしている現実も、そのまま社会に発信され続けるでしょう。</p>

<p>　そして、このページのように、両者がかけ離れていますと、佳子先生のお言葉は現実離れした単なる理想論、あるいは美辞麗句を並べただけの宣伝文のようになってしまいます。現状のまま漫然と年月が経過してゆき佳子先生が御帰天されると、GLAの活動のあらゆる側面において同様の現象が起こり続けることは避けられないのではないでしょうか。</p>

<p>　未来を変えてゆくためには、前記事にて述べましたように、「佳子先生のお言葉の内容をよく吟味すること」「そこに込められているいのちを深く受け止めさせて頂くこと」が欠かせないのではないかと思われます。さらに、その前提として「佳子先生のお言葉に対する感性を育む」ということがどうしても必要になるのではないかと思われます。感性が育まれていない人は、「お言葉の内容をよく吟味しよう」「そこに込められているいのちを深く受け止めさせて頂こう」と思ったとしても、心をそのように働かせる事ができないため、結局は果たせずに終わってしまうのではないかと思われるためです。</p>

<p>　私は、「佳子先生のお言葉に対する感性」とは、「神意・青写真に対する感性」と全く同じものであり、それは佳子先生との一体化を果たす霊操行によらなければ育めないのではないかと思います。少なくとも、私には霊操行以外の方法は思い当たりません。</p>

<p>　GLAのホームページに関しては、他にも「GLAの教義」や「Q&amp;A」のページなどの問題点についても、本ブログで述べてきました。これらの問題も、同じ原因から派生しているのではないかと考えられます。霊操行を基としてホームページを本来的な内容に改めてゆくことは、GLAの未来を本来的なものにしてゆく第一歩ではないでしょうか。</p>]]> 
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    <published>2014-03-31T14:40:25+09:00</published> 
    <updated>2014-03-31T14:40:25+09:00</updated> 
    <category term="7つのプログラム全般" label="7つのプログラム全般" />
    <title>「生活・人生のサポート」のページについて</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<p> GLAホームページ中の「生活・人生のサポート」のページには、次のようなプロローグが掲載されています。<br />　「誰にも訪れる人生の節目。<br />　　ときには不意に起こる問題も少なくありません。<br />　　そのときをどのように生きるのか―。<br />　　GLAは、一人ひとりの人生に同伴して、<br />　　魂を重んじる生き方を支援する、<br />　　トータルライフパートナーです。」</p>

<p>　私は、このプロローグを作成されたのは佳子先生であり、残りの部分は弟子に委ねられたのではないかと想像します。以下、この想像が当たっていることを前提として、このページについて私の考えを述べてみたいと思います。</p>

<p>　佳子先生がプロローグを作成されたのであれば、弟子はその内容をよく吟味し、そこに込められているいのちを深く受け止めさせて頂いた上で、プロローグと響きあうような記事を作成してゆくことが求められているのではないでしょうか。特に、「ときには不意に起こる問題も少なくありません」「一人ひとりの人生に同伴して、魂を重んじる生き方を支援する」というお言葉に鑑みれば、いつでも、誰でも享受できる「普遍的・一般的なサポート」をこのページで紹介してゆく必要があるのではないかと考えられます。</p>

<p>　しかし、実際にこのページで紹介されているサポート（冠婚葬祭、健康相談、法律相談、親研修、災害時の支援）は、ことごとく対象者、場所、スケジュール、テーマなどが限定された「限定的サポート」と呼べるのではないでしょうか。私は、これら限定的サポートを紹介すること自体に問題があるとは思いません。しかし、このページの主軸になるべき記事は「普遍的・一般的なサポート」であり、「限定的サポート」は「付随的なもの」あるいは「付け足し」という位置づけで紹介しなければならないものと考えます。</p>

<p>　次に、「普遍的・一般的なサポート」の内容について考えてみますと、それは「グループ力・響働力に基づくお世話構造」をベースに置くもの以外に考えられないのではないでしょうか。しかし、なぜ「グループ力・響働力に基づくお世話構造」でなければならないのか、「お世話する人」と「お世話される人」に分ける考え方はどこに問題があるのか、GLAに御縁の無かった一般人の方々にはなかなか理解しづらいことではないかと思われます。従って、その基本理念をホームページ上で説明する必要があるものと思われます。基本理念については、１９９９年の時点で佳子先生が明確にされているのではないかと思いますが、そうでなかったとしても弟子が基本理念を見いだせる程度のヒントは下さっているのではないでしょうか。</p>

<p>　基本理念を明確化したならば、次に「実践内容」を開示する必要があります。「グループ力・響働力に基づくお世話構造」は、事務局においては１５年に渡って放置されてきましたが、会員の皆様は、生活実践の場などにおいて、限定的ではありますが実践されてきたのではないでしょうか。従って、生活実践における同伴の実例を掲載すればよろしいのではないかと思われます。</p>

<p>　ここで、「生活実践の実例を示せば充分なのか？」と問われますと、それは不充分であることが明らかではないでしょうか。生活実践に未参入の会員は恩恵を享受できませんし、生活実践のみで果たせる事には限界があるからです。しかし、佳子先生が冒頭のプロローグの掲載を指示されたということは、このプロローグに響きあう内容（上述のように、それは「グループ力・響働力に基づくお世話構造」以外に考えられません）を社会に発信すべき時が訪れているという事であり、内容が不充分である事を承知しつつも、可能な範囲で発信してゆかなければならないものと考えられます。不充分な点については、今後のお世話構造の構築や、７つのプログラムの実践を通じて、実績を積みながら補ってゆけばよろしいのではないかと思われます。</p>

<p>　以上述べたことをまとめますと、「生活・人生のサポート」のページは、以下のように変更することが正しいものと考えます。<br />（１）プロローグの後には、プロローグの内容を実現する基本理念として、「グループ力・響働力に基づくお世話構造」について説明する。<br />（２）基本理念の実践内容として、当面の間は「生活実践における同伴」を紹介する。但し、今後のお世話構造の構築や、<br />７つのプログラムの実践を通じて、実践内容の記事を充実してゆく。<br />（３）現在の記事（冠婚葬祭、健康講座、法律相談など）は、残すのであれば、「付随的記事」または「つけたし」という位置づけで残す。</p>]]> 
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    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://copyman.syoyu.net/7%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%85%A8%E8%88%AC/%E5%B1%A4%E5%88%A5%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%E7%AD%89%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%BE%8B%E7%9B%B8%E8%AB%87%E3%82%84%E5%81%A5%E5%BA%B7%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6" />
    <published>2014-03-29T11:03:25+09:00</published> 
    <updated>2014-03-29T11:03:25+09:00</updated> 
    <category term="7つのプログラム全般" label="7つのプログラム全般" />
    <title>層別セミナー等の法律相談や健康講座について</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<p>　GLAのホームページによれば層別セミナーや八ヶ岳の止観シート研修にて、法律相談や健康講座の場が設けられており、会員の皆様から好評を頂いているということです。昨年１１月１１日の記事「7つのプログラム全般の態勢についての考察（２）」では、層別セミナーの相談コーナーについて、「会員の皆様のニーズがあまり無かったため、そのうちなくなってしまった」と述べましたが、これは私の勘違いであったようです。法律相談や健康講座が好評であるならば、是非今後とも継続して頂きたいと思います。</p>

<p>　但し、法律相談や健康講座は、「7つのプログラム」の「人生同伴態勢の充実」とは無関係なものであることを明確に認識しておく必要はあるのではないでしょうか。「7つのプログラム」の一環として具現を果たすのであれば、佳子先生から頂いたテーマの一言一句を慎重に吟味し、そのテーマに忠実に沿うものでなければならないと思われるためです。</p>

<p>　「人生同伴態勢の充実」については、「身近で相談に乗ってもらえるようなお世話の態勢をそれぞれの場に整える」というテーマが示されています。「身近」とはご本人の自宅付近、あるいは最寄りのターミナルという程度の意味ではないかと考えられ、「層別セミナーの会場」や「八ヶ岳」は明らかにこの条件に反しているのではないでしょうか。また、「トータルライフ・パートナーズシステム」については「神理を学ぶ専門家とも響働し」の語句により、神理を学ぶ専門家と専門家以外の人々が「響働する」という事が条件になっていることが解ります。法律相談や健康講座は、専門家が単独で動くことであると考えられますので、「響働する」という条件に反しています。</p>

<p>　法律相談や健康講座を充実させてゆく事は大変に結構なことであると思いますが、それによって「7つのプログラム」の「人生同伴態勢の充実」は全く進捗しないという事を改めて認識しておく必要はあるのではないでしょうか。GLA随想１，５のレポートにて述べてきましたように、「人生同伴態勢の充実」というプログラムは、１９９９年に頂いた「グループ力・響働力に基づくお世話構造を実現する」という課題をクリアして初めて挑戦してゆけるものであると考えます。この課題が１５年に渡って放置され続けている現状を変えない限り、何も進まないのではないでしょうか。</p>]]> 
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    <published>2014-03-27T16:35:34+09:00</published> 
    <updated>2014-03-27T16:35:34+09:00</updated> 
    <category term="千年構想" label="千年構想" />
    <title>GLAテキストブックシリーズについての考察</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[<p>　「GLAテキストブックシリーズ」は、GLAホームページにおいても紹介されていますが、同シリーズとして発刊されたテキストブックは2007年に「GLA会員の基本ライフスタイル」のみであり、それ以降７年に渡ってテキストブックは発刊されていません。この現実は、何を呼びかけているのでしょうか。</p>

<p>　私は、テキストブックは全て佳子先生が御執筆下さるものと漠然と考えておりましたし、同じように考えておられる方も多いのではないかと思います。しかし、その考えは誤っているのではないかと思えてきました。つまり、現在発刊されていないテキストブックは全て弟子によって編纂されるべきものではないでしょうか。</p>

<p>　その事の正否は、単純に「佳子先生が7年間も御執筆されなかったから」という理由によって判断されるべきではなく、「そもそもテキストブックシリーズを発刊する願いは何であったのか」「千年の伝承を果たしてゆくために弟子は如何なる智慧を育まなければならないのか」という大局的見地から吟味されるべきものと思います。しかし、そのような吟味の結果、「弟子が編纂すべき」という結論に達する可能性は相当に高いのではないかと私は考えています。その理由は、「GLAテキストブックシリーズ」には「千年の伝承を果たす」という願いが込められているのではないかと思えるためです。智慧の伝承は文字のみによって果たすことはできず、人から人への伝承というものが不可欠であると思われます。その一方、文字という形で伝承の内容をピン打ちし、骨組みを明確化しておくことも不可欠ではないでしょうか。私は「GLAテキストブックシリーズ」は後者の役割を果たすものであるため、千年の伝承の担い手である弟子が編纂すべきではないかと考えています。そこで、この考えが正しいという事を前提として、編纂のあり方ついて検討してみたいと思います。</p>

<p>　まず、第一に重要なことは、「佳子先生に対して、さらなる智慧の伝承をお願いする」という事ではないでしょうか。テキストブックは、各々のテーマについて「倣う」「祈る」「学ぶ」という三つの要素から構成されています。私が存じている限りでは、（「GLA会員の基本ライフスタイル」を例外として）このような要素の分け方について佳子先生が智慧を開示されたことはありませんでした。従って、現状のままでは、弟子がテキストブックを編纂してゆくことには無理があり、神理実践を三つの要素に分けることの意味について、さらなる智慧の伝承をお願いする必要があるのではないでしょうか。</p>

<p>　第二点目として、佳子先生が説かれたことのみならず「弟子が見い出した事もテキストブックに含める」という事も大切ではないかと思われます。たとえば、GLA随想２，３のレポートでは、魂の因果律における止観シートの位置づけや、受発色の主要な系列が４×３通りになる理由について、私の考えを紹介させて頂きました。これらの事を「知っている人」と「知らない人」とでは、同じように止観シートに取り組まれたとしても、内界の看取りの深さが違ってくるのではないでしょうか。ここで「知っている人」が「このブログを読んだ人」に限定されるとすると、あまりにも残念なことではないかと思われます。私の考えが正しいのか否かをよく吟味され、「正しい」という結論が出たのであれば、それはテキストブックに含めて頂くことが呼びかけられているのではないでしょうか。</p>

<p>　第三点目として、将来的には「結力を育むテキストブック」の編纂に向かってゆく必要があるのではないかと思います。現在のところ発刊が予定されているテキストブックは菩薩必携の四力のうち「観力」「浄力」「発力」を育むものに限られているように見受けられます。千年の伝承を果たしてゆくためには、これらに加えて「結力を育むテキストブック」が不可欠ではないかと私は考えます。但し、私が存じている範囲では「結力」を育むために何が必要であるのか、佳子先生はあまり多くの事を説かれておられませんので、「結力を育むテキストブック」がどのようなものになるのか、なかなか全体像が見えてきません。</p>

<p>　「佳子先生との一体化を果たす霊操行」は「結力」を育むために大切であるという事は間違い無いものと考えますが、それだけでは「倣う」「祈る」「学ぶ」という三つの要素が揃いません。やはり、佳子先生に対してさらなる智慧の伝承をお願いしない限り、「結力を育むテキストブック」を編纂することは難しいのではないかと考えられます。</p>]]> 
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