「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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前記事では、霊操行の果報として、「本来的ではない心の働かせ方を弁別する感性が育まれる」という事を挙げましたが、その具体例を紹介した上で、その側面から霊操行の必要性について、さらに考えてみたいと思います。
2006年のことでした。インターネット上で「信次先生は何人かの弟子について大天使であるとおっしゃった」という趣旨の記事を発信された方がおられました。その方に対し、関芳郎氏が記事の削除を求める警告状を出されたということです。勿論、私は警告状そのものを確認したことはありませんが、発信者の方によると、「そのような事を書かれると、迷ってしまう人が出てくるから」というのが削除を求める理由であったということです。そうしますと、この記事の内容は真実であったのではないかと私には思われました。
信次先生のお言葉の謎を解くために「大天使」と呼ばれた人々の様子を拝見しておりますと、どうも全員が増長慢に陥っていたのではないかと思われました。その時、私は信次先生のお言葉の意味について、一つの気づきを頂きました。気づきの内容は、人間の内界のエネルギーの流れそのものであって、言葉としては表わしにくいものですが、敢えて言葉として表すと、次のようになります。
「この人々が増長慢に陥ったのは、信次先生のお言葉が契機になったように見受けられる。しかし、増長慢に陥った真の原因は、本人が元々増長慢に陥るような傾向を抱えていたからであり、信次先生のお言葉は単なる縁に過ぎないものである」
但し、この短い言葉では、大多数の人は意味を理解できないのではないかと思われました。どのようにすれば理解して頂けるのか、色々検討した結果が「GLA随想3:法の継承時の鍛錬」のレポートという形になりました。このことから、神理を説くためには、次の二つの側面が必要になることが解ります。
A:言葉として表しにくいエネルギーの流れを把握する
B:把握したエネルギーの流れを解り易い言葉で説明する
A,Bのうち何れの側面が難しいかと言えば、本来はBの側面の方がはるかに難しいはずです。しかし、私の場合、Bの側面についてさほど困難さを感じませんでした。これは、魂の因果律、止観シートなどの基礎を佳子先生が既に整えて下さっていたためです。このように、Bの側面については既に相当の準備が整っているため、Aの側面さえ果たせば、弟子が神理を説いてゆくことができるのではないでしょうか。
法の継承時の鍛錬について、私がAの側面を果たした(エネルギーの流れを把握できた)理由は、霊操行によって「本来的ではない心の働かせ方を弁別する感性」を育んできたからではないかと思います。それは、今生の人生のみならず、過去世からの取り組みの蓄積という事になります。一方、信次先生のお言葉の事を最初から知っておられた方々は、30年に渡って意味を考え続けてこられたのではないでしょうか。30年かけても解らなかったという事は、「霊操行によって感性を育まない限り、どれだけ考えても解らない」と言いきってよろしいのではないでしょうか。
前記事にも述べましたように、神理を世界に広め千年の伝承を果たしてゆくためには、土地と時代の風土に応じて神理を説き直す「ローカライズ」という事が不可欠であると考えられます。そのためには、その土地と時代に流れる、言葉には表し難い「エネルギーの流れ」を掴んでゆく必要があり、それが果たせて初めて、どのような言葉で説明すべきかを検討することができるのではないでしょうか。
結局、「エネルギーの流れ」を掴めない限り何も果たすことができないように思いますが、そのための感性は、霊操行に取りまない限り育む事が難しいのではないかと思われます。
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