「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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霊操行の果報として、「本来的な方向に心を働かせてゆく感性が育まれる」という事が挙げられますが、これは同時に「本来的ではない心の働かせ方を弁別する感性も育まれる」という事になります。
これら二つの感性は、普通の人が「何となくおかしい」としか感じられない事や、そもそもおかしいと感じられない事に対して、「何がどのようにおかいいのか」という困の次元の本質を見抜き説明できる力として現れ、また、「どのようにしてゆけば良いのか」という処方箋を描く力として現れるように思われます。
このブログにて再三述べてきたことですが、神理を世界に広め千年の伝承を果たしてゆくためには、土地と時代の風土に応じて神理を説き直す「ローカライズ」という事が不可欠であると考えられます。これは、現代日本とは全く異なる条件下で困の次元の本質を見抜き、処方箋を提示してゆくということであり、それを果たす力を育むためには、霊操行以外に方法は無いのではないかと思われます。
また、過去世の修行によって既にその力を育んでいる人であっても、今生の人生で霊操行に取り組まない限り、その力を思い出してゆくことは難しいのではないでしょうか。結局、霊操行に取り組まない人は千年の伝承の担い手になる事は難しく、多くの人が霊操行に取り組まれる事によって、伝承を果たしてゆく道が拓けてゆくのではないかと私は考えます。
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