「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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このブログでは、会員の皆様の発心によってFacebookページを創設し、GLAの方針について自由な意見交換をして頂く必要性を述べてきました。また、会員の皆様に霊操行に取り組んで頂く必要性についても述べてきました。これら二つのテーマには、深い関係があるのではないかと思われます。
まず、霊操行を軽視して自由な意見交換のみを実現してゆけばどうなるかを考えてみますと、それは単なる合議制の導入という事で終わってしまう可能性があります。現状のGLAの方針やGLAホームページの内容には、あまりにもおかしなものが散見されます。単に合議制を導入しただけであっても、これらの内容を多くの方々にとって首肯できる内容に修正してゆく事は可能ではないかと思われますが、神意に適った高次元の方針を打ち出してゆくことは困難ではないでしょうか。
逆に、自由な意見交換の場を実現せず、霊操行のみを重視すればどうなるかを考えてみます。霊操行によって、確かに神意・青写真にアクセスする力を育むことはできますが、一人または数人程度の弟子の力では、どうしても具現のレベルが下がってしまうのではないでしょうか。つまり、「大体の方向性として正しいヴィジョン」を描くことは可能であると思いますが、佳子先生のように細部まで漏れのないヴィジョンを描くことは難しいのではないでしょうか。しかし、この点は多くの人が自由に意見交換する事によって補ってゆけるのではないかと思われます。
このように、佳子先生の具現のレベルに弟子が挑戦してゆくためには、「霊操行」と「自由な意見交換」という二つの要素を充足する事が必要であり、何れが欠けても挑戦を果たせないのではないでしょうか。それゆえ、これら二つの要素を充足してゆくことは、千年の伝承を果たしてゆくための条件でもあると思えます。
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