「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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9月14日の記事(有余の菩薩について)では、初代弟子としてほとんど有余の菩薩(まだ修行すべきことが有り余っている菩薩)ばかりが選抜された理由について考察しました。しかし、この理由について、また新たな気づきがありました。
初代弟子としてほとんど有余の菩薩ばかりが選抜された結果として何が起こったかと考えてみますと、それは「弟子のみではほとんど具現を進めることがでず、具現を進めるためには佳子先生から頻繁にご指導を頂く必要が生じる」ということではないでしょうか。それは「佳子先生のお仕事が増える」という結果につながります。しかし、佳子先生が初代弟子に下さったご指導は未来千年に渡って伝承されますから、将来の弟子にとっても大切なご指導であるということになります。すると、佳子先生のお仕事が増える結果になったとしても、未来千年のことを考えますと、「ご指導は多ければ多いほど望ましい」ということになるのではないでしょうか。
逆に、僅かなご指導に基づいて具現を進められる人が事務局にいると何が起こるかを考えてみますと、それは「その人に対するご指導が少なくなる」ということになります。しかし、それは言葉を変えると、「未来千年のために必要なご指導が大幅に削られる」という結果につながります。従って、現在のGLAの事務局では、そのような人は「迷惑で邪魔な存在」になってしまい、排除せざるを得ないのかもしれません。あるいは、「会員の皆様のお世話」など限定した役割を与えて、他の事には口出ししないように釘を刺されているのかもしれません。
そうしますと、至らない点を露呈して佳子先生からご指導を頂くことは、有余の菩薩の使命であると考えられます。従って、与えられたテーマに行き詰ったときは、佳子先生に対して堂々とご指導をお願いしても構わないのではないでしょうか。しかし、それは「その人のため」ではなく、あくまでも「未来千年のため」という事を忘れてはならず、「未来千年のため」にならないご指導をお願いすることは、慎まなければならないものと考えます。
「未来千年のため」にならないご指導の最たるものは、「無手勝流の具現」に対するご指導ではないでしょうか。佳子先生は具現の進め方について、様々なご指示・ご指導を下さっているものと思われます。それらを無視して無手勝流の具現を進めようとして行き詰ったとしましょう。仮に、その進め方を容認した形で佳子先生がご指導されたとしても、それは「未来千年」のことを考えますと、全く不要で無駄なものではないでしょうか。
12月4日の記事(私の役割について(2))の繰り返しになりますが、「過去に頂いたご指示・ご指導を一覧表にまとめて整理した上で、その一つ一つを刻印して愚直に実践してゆく」という事が、未来千年のために必要なご指導を残してゆくために不可欠なことではないかと思われます。
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