「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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法の継承時の鍛錬についてはこのブログで何度か触れてきましたが、「歴史の整備」のテーマは「GLA40年を振り返り、未来千年の礎とする」であったと考えられますので、法の継承時の鍛錬がなぜ「未来千年の礎」につながってゆくのかを考えてみたいと思います。
法の継承時の鍛錬は、一人一人の内に巣くう「己心の魔」というものが如何に恐ろしいものであり、かつ、見えにくいものであるかを教えて下さった鍛錬ではなかったと思います。法の継承時の鍛錬そのものは、煩悩地図、止観シート、魂の因果律などの神理の体系が未だ整っていない時代に実施されました。しかし、神理の体系が整った後になっても多くの方が鍛錬の意味を見い出すことができませんでした。それは、それだけ見えにくいものであるという事ではないでしょうか。
「己心の魔」は、普段の生活の中で現れてこなかったとしても、ある条件が整った時に姿を現し、様々な混乱を引き起こします。それは、過去に幾多の文明を壊滅させていった元凶であり、注意を怠るならば千年の伝承を途切れさせてしまう元凶にもなります。すなわち、GLA共同体が千年の伝承を果たしてゆくにあたって、最大の障害として立ちはだかるものがこの「己心の魔」ではないでしょうか。法の継承時の鍛錬は、その「戒め」という意味で未来千年に渡って伝承してゆくべき事ではないかと思われます。このように考えますと、このテーマに対する取り組み方について、私の考えを見直さなければならないのではないかと思われました。
私は、「鍛錬後もGLAに残留された方々に如是我聞して頂き、その範囲内で鍛錬の意味と内容を書籍にて発表する」という形で、このテーマを終結させてよろしいのではないかと考えていました。しかし、未来千年に渡って「戒め」として伝承してゆく事を考えますと、鍛錬後にGLAを去られた方々についても可能な限り情報を集め、詳細な記録をまとめておく必要があるのではないかと思われました。なお、GLAを去られた方々についての情報を現時点でGLAが公表する事は差し控えるべきであり、少なくとも関係者全員が逝去され、関係団体も消滅した後に為すべきことかと思われます。
但し、情報を集め記録をまとめるのは、当時の事をご存知の方々が存命中に果たさなければならないため、できるだけ早い段階でスタートして頂く必要があるように思います。その取り組みにおいて大切なことは、やはり「感謝と畏敬の念を忘れてはならない」という事ではないかと思います。鍛錬を受けられた方々は、GLAに残留された方々も、GLAを去られた方々も、それぞれ痛みを引き受けて下さいました。痛みを引き受けて下さった理由は、ご本人が認識されていなくても「未来千年の礎になる」という願いに基づくものではないでしょうか。その事を思いますと、感謝と畏敬の念をなくして進められるものではないと思われます。
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