忍者ブログ

GLA随想のコピー

「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。

社会発信力の強化に関する追加の考察(4)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

社会発信力の強化に関する追加の考察(4)

 「コミュニティ・デザイン2001」を遵守する必要性についてはこれまで何度か申し上げてきましたが、現在のGLAホームページの「GLAの教義」のページの内容に基づいて、その必要性について改めて説明してみたいと思います。

 最初に、高橋佳子先生がご著書やご講演を通じて一般人に「魂の因果律」を説かれるときに、どのようにされているのかを振り返って頂きたいと思います。そうすると、「前置きが長い」ということに気付かれるのではないでしょうか。佳子先生は「魂の因果律」という本題に入る前に、「魂とは如何なるものか」「心とは如何なるものか」という前置きに相当のページ(あるいは時間)を割いておられます。なぜ、そこまで前置きを長くする必要があるのでしょうか。

 「GLA随想3」のレポートでは「魂の因果律」と「意識のシステム」の関係について私の考えを発表させて頂きました。これは、「魂」は潜在意識に該当し「心」は想念帯および表面意識に該当する、というものですが、この考えはおそらく現在のGLAにおいては正しいのではないでしょうか。「現在のGLAにおいては」というのは、「過去のGLAにおいては違っている」ということです。信次先生のご著書「心の指針」(旧版)の122~125ページによれば、「心」とは「神仏の精を受ける場、器であり、意識の中心をなしているもの」であり、「魂」とは「心を含めて、潜在意識、想念帯、表面意識の全体」であると説明されています。

 信次先生のご説明に従えば、「魂の因果律」なるものは成立しなくなります。しかし、これは、信次先生のご説明は間違っているということではありません。元々の日本語において「魂」「心」という言葉の意味や概念というものは曖昧漠然としており、「魂」「心」という言葉を如何に定義付け、また如何に使ってゆくかは、神理を説く人の方針によって違ってくるのではないでしょうか。この場合では、信次先生と佳子先生では、言葉の使い方についての方針が違っていたということです。

 一般人のことを考えてみますと、特に「魂」という言葉の概念が非常に曖昧であると思われます。「魂とは心のことである」と認識している人もいるでしょうし、「魂とは幽霊のような存在である」と認識している人もいるでしょう。その認識を放置したままで「魂を因として、果報として心が生じる」などと説明されても、理解できるはずがありません。「魂」を「潜在意識」、「心」を「想念帯と表面意識」とする現在のGLAの概念は、おそらく世界中を探してもほとんど例が見られない独特のものではないでしょうか。従って、「魂の因果律」を一般人に説くためには、「魂」「心」という言葉の概念を「現在のGLAの概念」に合わせて認識して頂くことが不可欠になるものと思われます。

 ここで、表面意識、想念帯、潜在意識のことを考えてみますと、表面意識は比較的認識しやすいものではないかと思われます。想念帯は、ある程度止観シートに取り組まなければ認識しにくく、潜在意識すなわち現在のGLAの概念における「魂」は最も認識しにくいものではないでしょうか。「魂」という言葉を説明するために、「魂とは潜在意識のことである」と説明することも考えられます。しかし、心理学用語で「潜在意識」という言葉は、GLAの用語では「想念帯のつぶやき」に相当するようです。これが「魂」であると誤解されては困ります。GLAの用語で「潜在意識」とは仏教の八識論でいう「アラヤ識」に相当しますので、「魂とはアラヤ識のことである」と説明することも考えられます。しかし、「アラヤ識」という言葉自体、一般人には馴染みの薄い言葉ではないでしょうか。

 結局、「現在のGLAの概念」における「魂」を一般人に理解して頂くためには、数多くの事例を使って、様々な側面から概念を形成して頂くしか方法が無いように思えます。佳子先生が「魂の因果律」を説かれるときに前置きが長くなるのは、このような事情によるものと考えられます。

 以上のような前提に立って、「GLAの教義」のページの内容を見てみますと、冒頭に以下の文章があり、その後に「魂の因果律」の解説が続いています。

 『人間は魂の存在
わが国の高度経済成長期、人々の心が物質的な豊かさに傾いていた時代にあって、高橋信次先生は、人間の内なる次元の大切さを説かれました。人間は死んだら終わりではなく、永遠の時を生き続ける魂の存在であること、誰の人生にも目的と使命があることを訴えられたのです。「魂の学」の基には、そのように、人間を、肉体の存在としてだけではなく、魂の存在として見るまなざしがあります。忘れていた魂の感覚を蘇らせ、永遠のまなざしから一瞬一瞬を全力で生きてゆくことの大切さを教えてくれるのです。

「魂の学」の中核となる理論 ――「魂の因果律」
では、私たちは、魂の存在として、この世界をどのように生きてゆけばよいのでしょうか ──。高橋佳子先生は、私たちが永遠の魂として今を生きることができる道を具体的に解き明かされています。その中核となるのが、「魂の因果律」という理論です。』

 しかし、この短い文章で、「魂」という概念と、「心」という概念とを明確に区別した上で認識することは、多くの一般人の方にとって不可能なことではないではないでしょうか。「魂」と「心」を区別できなければ、「魂の因果律」も理解することはできません。

 「GLAの教義」のページを作成された方は、佳子先生のご著書やご講演に基づいて社会発信の智慧を吸収できるような力をまだ育んでおられないように見受けられます。それゆえ、一般人にとって理解し難い文章をホームページに掲載してしまったのではないでしょうか。その力を育むためには、9月28日の記事にも書かせて頂いたように、「対象(会員または非会員のうち何れか一方)を限定して自らを『型』に投げ入れる」という鍛錬が必要であり、そのためにも「コミュニティ・デザイン2001」を遵守して頂く必要性を感じます。

PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
copyman
性別:
非公開

P R