「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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7月12日の記事『「歴史の整備」検討チームの人選について』に関し、私の考えが間違っていたと思われましたので、再考します。
7月12日の記事では、「検討チームのメンバーは高橋信次先生と対話して頂いたことの無い方々でなければならない」と述べましたが、これは「法の継承時の鍛錬」が現在もなお継続中であるかもしれない方々をメンバーから外すためでした。しかし、改めて考えてみましたところ、法の継承後に入会された人も含めて相当数の人が「法の継承時の鍛錬」をある種の形で受けておられ、現在もなお継続中であることに気づきました(その詳細は次の記事にて掲載します)。そうしますと、鍛錬が継続中であるかもしれない方々をメンバーから外すと、メンバーが一人もいなくなってしまいます。
従って、検討チームのメンバーは、信次先生と対話して頂いたことがあるか否かに関係なく、選抜して頂くべきかと思われます。その結果、あるメンバーに対して与えられた鍛錬の真相が他のメンバーによって明かされてしまうことも起こるかもしれません。しかし、そのことを躊躇しておりますと、いつまで経っても「歴史の整備」が終わらなくなります。
「GLA随想9 千年構想」のレポートに認めましたように、「歴史の整備」を含めて「7つのプログラム」は2019年までに完遂すべきであり、その後は「千年の伝承」を果たしてゆく取り組みに集中すべきかと思われます。それは、「法の継承時の鍛錬」を終了させるということにもなります。鍛錬が途中で終わってしまった事を後悔される方がおられるのであれば、その後悔を「千年の伝承」を果たすことの願いに転換して頂ければよろしいのではないかと思われます。
「千年構想」について、私が考えておりますことを発表させて頂きます。
(本文より)
過去に「千年構想」の具体的なテーマとして、八ヶ岳の講堂棟・人生祈念館の建設、総合本部会館の建設、コミュニティ・デザイン2001 の具現などが発表されました。これらのテーマは、何れも十年程度で完了することであり、実際にほぼ完了しています。
しかし、その後「千年」という長きに渡ってGLA 共同体が何を果たしてゆくのかヴィジョンが全く示されていません。「7 つのプログラム」の中にも“「GLA 千年構想基金」の充実”というプログラムがありますが、現状のままでは何のために基金を充実させなければならないのか解らないのではないでしょうか。
「千年」という長きに渡るヴィジョンがなぜ示されないのか、その原因を考えてみたいと思います。上述のGLA 誌の記事によれば、高橋佳子先生は千年構想の始動において「宇宙に流れる因縁果報のはたらきの布陣に就く」というテーマを下さいました。しかし、「はたらきの布陣」というものが如何なるものであるのか、弟子が検討を重ねた形跡は見られませんので、おそらくこの「はたらきの布陣」なるものは現時点では形成されていないのではないでしょうか。その通りであるとすると、「千年」という長きに渡るヴィジョンが何も出てこないことは至極当然の結果であると考えます。
7月10日付のブログでは、「歴史の整備」について、職員や伝研生など一部の方々から成る検討チームを発足させる必要があるとの考えを発表させて頂きました。さらに、この検討チームの人選についても考慮する必要があるのではないかと思われました。それは、「検討チームのメンバーは高橋信次先生と対話して頂いたことの無い方々でなければならない」ということです。信次先生ご在世当時の情報の多くは「信次先生と対話して頂いたことのある方々」が持っておられますので、その方々は「検討チームに情報を提供する」という側面から貢献して頂く必要があると思われますが、検討の場には参加しないようにして頂く必要があるのではないかと思われます。その理由について、以下説明します。
法の継承時の鍛錬のために信次先生が仰ったお言葉は、「あなたは大天使である」「このままではGLAはダメになる」などのセンセーショナルなお言葉だけではないようです。うっかりすると聞き流してしまうような、平易そうに見えるお言葉の中にも、巧妙な仕掛けが見られる場合があります。このブログでは具体的な内容を明かすことはできませんが、弟子のカルマの働きを巧妙に引き出して、その弟子に正しい判断ができなくなるような仕掛けをされているように見受けられる事例があります。すると、その方にとって「法の継承時の鍛錬」は現在もまだ続いており、本人が自ら真相に気付かれるか、あるいは本人が逝去されるまで、他人はその事に気付いても口出しすべきではありません。
そのような鍛錬を受けている人が検討チームに属して他のメンバーと議論をしてしまいますと、正にその本人の目の前で、他の人によって鍛錬の真相が明かされてしまうようなことが起こりかねません。このような事が起こりますと、せっかくの鍛錬が台無しになってしまいます。そして、この種の危険は「信次先生のお言葉」のどこに埋まっているのか、全容が全く見えません。このような状況下で危険を回避するためには、「現在もなお鍛錬を受けておられる可能性のある方々」すなわち「信次先生と対話して頂いたことのある方々」全員に検討チームから外れて頂くしか無いように思えます。
5月23日、29日付のブログでは、GLA公式FacebookページにてGLAの活動に関する議論が制限されている理由として、「事務局内でセクショナリズムが蔓延しており、セクショナリズムを脱却するまで先生は在家の会員の議論を制限されているのではないか」との考えを発表しましたが、どうもこの考えは間違っているのではないかと思われました。つまり、事務局内でセクショナリズムが蔓延しているならば、それは脱却して頂く必要がありますが、そのこととは切り離してFacebookページにて議論を重ねても差し支えないのではないかと思われました。そこで、GLAの活動に関する議論が制限されている理由について再考してみました。
議論が制限されている理由は、おそらく、「GLAの活動に関する議論のルールが定まっていない」ということではないかと思います。従って、担当職員の皆様にて妥当なルールを定めて頂ければ、Facebookページにて7つのプログラム等についての議論が解禁されるのではないかと考えます。このルールの内容について、私は以下のように考えています。
7つのプログラムのそもそもの目的は「菩提心発掘」ということにありました。会員の皆様が、他の会員の方々あるいは今後GLAに集われる方々のことを思い遣って、今後の方針のこと(すなわり「歴史の整備」以外のテーマ)について議論を重ねることは、「菩提心発掘」という目的に結びつくのではないでしょうか。従って、「歴史の整備」以外のテーマについては、一定の節度を保って頂けるならば、自由に議論して頂いて構わないのではないかと思います。
一方、「歴史の整備」について、私が考察した範囲では、とらわれを引き起こす事や、様々な方のプライバシーに触れることが多く、Facebookページにて議論することがふさわしいとは思えない面がありました。従って、「歴史の整備」については、職員や伝研生など一部の方々から成る検討チームにて検討して頂くこととし、Facebookページにて議論することは差し控えて頂くことが妥当ではないかと思われます。
なお、「歴史の整備」の中の特に「法の継承時の鍛錬」については、会員の皆様が持っておられる情報も重要かと思われますので、窓口を定めて情報を募集することも必要になるかもしれません。しかし、集まった情報は上述の検討チームでの検討のみに使用し、Facebookページ等にて公開することは差し控えて頂くことが必要ではないかと思われます。
7つのプログラムを進捗させてゆくためには、「神意・青写真にアクセスする境地を育む」ということが欠かせないことのようにも思えます。
実は、私自身は自ら見出した「霊操行」によってその境地を育んできたつもりです。今回は「霊操行」の内容について開示し、より多くの皆様に取り組みを呼びかけさせて頂きたいと思います。