「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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関芳郎氏を総合本部長に据え置いたまま千年構想を推進してゆくことについても、「はたらきの布陣」という側面から考えると、さらなる意味が見えてくるように思えます。
私たちは、「組織のリーダーの資質がその組織の命運を決める」という観念を自然に持ってしまっているのではないでしょうか。例えば、国家の運営がうまく進まないときは「総理大臣を交代させよう」、企業の運営がうまく進まないときは「社長を交代させよう」という発想が自然に湧いてきます。その延長線上で、千年構想などGLAにおいて弟子の果たすべきテーマが進捗しないときに「総合本部長を交代させよう」という発想が湧いてくるのも、ある意味では自然なことではないかと思われます。
しかし、「千年」という長きに渡る伝承のことを考えますと「個人の資質」というものに頼るのは危険であり、総合本部長が誰であっても千年構想を推進してゆける態勢を整えることが呼びかけられているのではないでしょうか。総合本部長が誰であろうとも、GLAのリーダーは常に「大いなる存在、神」ですから、神の御心を感じ、神の御心を具現してゆけば千年構想を推進してゆけるものと考えられます。但し、「神の御心を感じ、神の御心を具現する」ということを一人で果たすことはなかなか難しい面があることも事実です。その事を多くの人々の響働によって実現してゆく態勢こそが「はたらきの布陣」ではないでしょうか。
総合本部が方針を打ち出さない限り動きようの無いテーマについても「総合本部が方針を打ち出すまで待つ」ということではなく、「はたらきの布陣を構成する方々が方針案を協議し、事務局に働きかけてその内容を承認させる」という形で進めてゆくことが呼びかけられているのではないかと思われます。
8月25日の記事では、「伝道研鑽部会をGLAの最高意志決定機関にする」というヴィジョンを発表しました。それは勿論、「会則をそのように改正する」という意味です。同記事ではその事は「すぐにでも実現すべきことである」と書きましたが、その前に「最高意志決定機関としての実質を備える」という事を先に実現しなければならないのではないかと考え直しました。つまり、会則の内容はこれまでと変わらない状態で、伝研生を中心とする「はたらきの布陣」が実質的に千年構想の方針を決定し、推進してゆく態勢を実現してゆくことが呼びかけられているのではないでしょうか。会則の改正は、「その事を確認的に明確化する」という形で為されることが最善ではないかと思われます。
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