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GLA随想のコピー

「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。

「はたらきの布陣」に関する再考(3)

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「はたらきの布陣」に関する再考(3)

 佳子先生は、「私たちが魂共同体千年構想を果たしてゆくためには、神の御心を因とする、宇宙に流れる因縁果報のはたらきの布陣に就くことが大切」と促して下さいました(GLA誌1999年11月号66ページ)。このお言葉の意味について、「GLA随想9:千年構想」のレポートや、その後の本ブログの記事にて私の考えを述べさせて頂きましたが、私の考えを若干訂正しなければならないのではないかと思われました。

 「神の御心を因とし、人間が縁になるとは如何なることか」という問題について、私は「人間が神意・青写真にアクセスし、具現してゆくことである」と考えていました。しかし、自ら青写真にアクセスできなかったとしても、他人のアクセスした青写真に共感できる人は、やはり「神の御心を因として、縁になる人」ではないかと思われます。その人が神と結びつくために、「他人が青写真を開示してくれること」という条件は確かに必要でした。しかし、青写真に共感した後は、神とその人との一対一の関係において、その人は神の御心を因とし、縁となって働ける人になるのではないでしょうか。

 特に、今後のGLA共同体においては、「青写真に共感できる人」の役割が非常に大きくなるのではないかと思われます。もし、誰かが青写真にアクセスできたとしても、多くの人がその青写真に共感できなければ、その青写真は具現されずに終わってしまいます。従って、GLA共同体が未来千年に渡って神の御意志を具現し続けてゆくためには、「青写真にアクセスできる人」と同時に、「青写真に共感できる人」を数多く輩出してゆく必要があるように思います。

 「青写真にアクセスできる人」は、どこにどのような形で出現するのか、事前に予測はできません。その人はGLAの中で特に立場も権限も持っていない人であるかもしれません。しかし、その人の語るヴィジョンが神意・青写真に適うものであれば、そのヴィジョンに共感し具現してゆくことが必要ではないでしょうか。その事が「はたらきの布陣」ということであり、それを果たせるか否かが「千年の伝承」を果たしてゆけるか否かの鍵になっているのではないかと思われます。「7つのプログラム」は、GLA共同体が「はたらきの布陣」に就けるのかどうかを試されている、最初のテーマではないでしょうか。

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