「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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このブログで何度か述べましたように、7つのプログラムが進捗しない直接的な原因は佳子先生が具体的なご指導を下さらないからであり、ご指導を下さらない理由は職員の皆様が佳子先生のご指示を無視した無手勝流のやり方で進めようとされているからであると私は推測します。この推測が正しいものとして、なぜ佳子先生のご指示に従えないのか考えてみたいと思います。
ご指示に従えない一つの原因として思いますことは、「何をやったところで、自分たちは青写真にアクセスできるようにはならないのだ」という諦めムードが事務局の中で蔓延しているのかもしれません。私は「佳子先生のご指示・ご指導に愚直に従えば、青写真にアクセスできるようになるはず」と漠然と考えていたことがありました。しかし、このブログで取り上げてきましたように、千年構想、7つのプログラム、ホームページ中の「GLAの教義」のページなどの出来栄えは相当に思わしくないものであり、しかもそれは何十年も佳子先生からマンツーマンでご指導を頂いてきた人の手によるものであることを冷静に考えますと、以前に私が考えていたような簡単なことではないのかもしれません。
ご指示に従えない二つ目の原因として思いますことは、ご指示の内容が、かなり手間のかかる面倒なものであるのかもしれません。一例として、私が「具現の王道」と呼んだものについて考えてみたいと思います。これは、「ベースとなる佳子先生の具現を見出す」「佳子先生の具現と今回の具現との条件の違いを見出す」「条件の違いに応じて具現のあり方を変えてゆく」という3つのステップから成ります。これは、具現の進め方について佳子先生の説かれた事とどれほど整合しているのか私には解りませんが、大筋では誤っていないと思いますので、その通りの内容を佳子先生が説かれたものと仮定してみます。
「具現の王道」というものは、思いつくままにウィズダム(らしきもの)を書く場合と比較して、かなり手間のかかる面倒なものである事は否めません。手間をかけることによって青写真にアクセスできるようになるならば、モチベーションを保つことはできますが、「結局、何をやっても青写真にアクセスできるようにはならない」ということであれば、楽な方向に流されてしまうのかもしれません。
しかし、たとえどれほど出来栄えの悪いものであっても、具現の進め方は佳子先生のご指示に忠実に従うものでなければならないはずです。その理由は、12月19日の記事(有余の菩薩について(2))にて述べた通りであり、ご指示から外れた方法による具現に対して佳子先生がご指導されたところで、それは「未来千年」のことを考えますと、全く不要で無駄なものになってしまうからです。「ご指示の通り進めても青写真にアクセスできるようにならないかもしれない」という事を承知しつつも、ご指示に忠実に従うことは、「未来千年の礎になる」という事の一つの形ではないかと思います。
もし「未来千年」ということにリアリティが持てない場合には、現在の青年層、青年シニア層の方々のことを思い浮かべてみるとどうでしょうか。現在の職員の皆様にとって、彼らは顔も名前も知っている相手ですから、リアリティを持ちやすいのではないかと思います。彼らは、佳子先生が御帰天された後にGLA共同体を担う使命を持っておられます。佳子先生が御帰天された後に具現を果たす場合は、佳子先生の遺されたご指示・ご指導に忠実に従う以外に方法はありませんが、それがどれほど大変な事であるのか容易に想像できるのではないでしょうか。
具現の進め方について佳子先生が「一般論」として説かれたことのみでは、実際に弟子のみで具現を進めてゆくためには足りず、具体的な事例が数多く必要ではないかと思われます。それによって具現の進め方について理解が深まってきますし、如何なる点で間違いや視点落ちを招きやすいのか、という事なども見えてくるようになるのではないでしょうか。事例を揃えるためには、現在の職員の皆様が佳子先生の示された手順に忠実に従って挑戦を果たされ、様々な失敗を重ねられるとともに、ご指導を頂く事が必要ではないでしょうか。そのような記録が残っていると、現在の青年層、青年シニア層の方々にとって、どれほど心強いことかと思います。
つまり、現在の職員の皆様が「佳子先生の示された手順に忠実に従う」ということは、ある意味では、「現在の青年層、青年シニア層の方々が飛躍するための踏み台になる」ということになります。他の人が飛躍するための踏み台になる役割を自ら買って出る人がいるとすると、それは飛躍する人に対して友情を感じているからではないでしょうか。従って、「佳子先生の示された手順に忠実に従う」ということは、現在の青年層、青年シニア層の方々に対して「世代を超えた友情の証を示す」ということであり、それは自然に「未来千年の礎になる」ということにつながってゆくのではないかと思います。
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