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GLA随想のコピー

「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。

近日中にパラダイムの転換が起こる可能性について

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近日中にパラダイムの転換が起こる可能性について

 9月6日,9日の記事にて「千年構想の小目的・中目的の実現を開始する必要性」について述べましたが、「現状とのギャップをどのように埋めてゆくのか」ということが問題になります。

 例えば、映像配信システムが本来の目的(高齢者や病気の方の自宅等に四聖日等の映像を配信すること)のために使われていないのは、「GLAの中で共に学ぶ同志に対してですら、無関心になっている」ということになります。また、「グループ力・響働力に基づくお世話構造の整備」については、佳子先生から明確なご指示を頂き、また解り易いヒントを頂いたにもかかわらず十年以上も放置されています。これは「面倒なことは嫌だ」という快感原則に支配されているということではないでしょうか。これらの現状に対して問題意識を持たれた方もおられたと思いますし、現状を生み出すにあたっては事務局内の一部の方の意向が強く働いたという経緯があったのではないかと推察します。しかし、結果として上述の現状が生じたということは、GLAのパラダイムがその程度のレベルでしかない、ということに他ならないのではないでしょうか。

 千年構想の小目的(信次先生の法の復活、あるいは神理を学ぶ場の統合)および中目的(集団帰依、ローカライズ)は、現在GLAの外にいて佳子先生の法に見向きもしない人々に対する愛の心を育まなければ果たしてゆけないことであり、現在のGLAの同志に対してですら無関心に陥っている現状から考えると、かなり難しいことのように思えます。また、小目的、中目的は「グループ力・響働力に基づくお世話構造の整備」と比較して、はるかに面倒で困難が伴うものであり、これらを弟子の発心で始めるということも簡単に実現するとは思えません。霊操行などを介在としてパラダイムを転換してゆくことは不可能なことではありませんが、その方法のみでは道程は遠いように思えます。

 しかし、短期間のうちにGLAのパラダイムを転換できる方法が一つだけ存在することに気づきました。それは、「魂の所以に遡る瞑想」です。GLA共同体が千年構想を果たしてゆくべきことは信次先生がご出生されるはるか以前に決まっていたことですから、千年構想を担う使命を持ってGLAに集ってこられた方々は、「一切の人を救済してゆく願い」を持っておられるものと考えられます。表面意識でその願いが認識できないのは単に「忘れている」からであり、忘れていた願いを思い出せば、願いに向かって歩み出すことができるのではないでしょうか。「魂の所以に遡る瞑想」に依る以外、短期間にパラダイムを転換してゆく方法は無いものと考えますし、そうであるとすると、瞑想の場で多くの方々が願いを思い出されるということは、神の御意志に相違ないものと考えます。早ければ、本年の「伝道者研鑽セミナー」の場で願いを思い出す方が数多く出現されるのではないかと予想しています。

 「一切の人を救済してゆく願い」を思い出された方は、願いに向かって歩み出す決心をされるでしょうが、具体的に何を果たしてゆけばよろしいのか、簡単には見出せないのではないでしょうか。その際には、このブログが参考になると思います。私がこのブログを開設したことは神の御意志に基づくものと認識していますが、私の認識が正しいとすると、それは願いに向かって歩み出される方々の一助になるためであると思われます。私はこのブログの内容について、全て正しいとも、充分であるとも思っておりません。誤っている点や足りない点は、願いを同じくする皆様に補って頂く必要があります。そのことこそ、佳子先生が示して下さった「神の御心を因とする、宇宙に流れる因縁果報のはたらきの布陣に就く」(「GLA随想9 千年構想」のレポートを参照)ということに他ならないものと考えます。

 但し、魂の所以に遡る瞑想にて体験した境地について、佳子先生は「瞬間最大境地」という言葉で表現されたことがありました。実際に魂願を思い出されたことのある方は体験されたと思いますが、思い出した願いはすぐに錆びてしまい、願いのリアリティは急速に失われてゆきます。「瞑想をお享けする前の自分」と比較すると、「願いのリアリティは失ってしまったけれども、一切の人を救済してゆく切なる願いが確かに自分の中に存在する」という確信を持てる点は違いますが、それだけでは身口意において願いに生きることは難しいのではないでしょうか。

 人間の煩悩は侮り難いものであり、時間の経過とともに願いのリアリティが失われてゆくと、再び無関心、快感原則、猶予感覚などに心が支配されてしまい、そのままでは千年構想が頓挫してしまうでしょう。「魂の所以に遡る瞑想」によってパラダイムが転換できたとしても、それはあくまでも一時的なものに過ぎません。真に願いに沿って生きるためには、「願いに沿えるように心の働かせ方を変革してゆく」ということが大切であり、そのためには「GLA随想8」のレポートで発表させて頂いた霊操行に日々親しんで頂くことが最善ではないかと考えます。

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