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GLA随想のコピー

「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。

歴史の整備:「未来千年の礎」について

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歴史の整備:「未来千年の礎」について

 「GLA随想2 GLAの歴史概観」のレポートにありますように、「歴史の整備」について佳子先生が元々下さったヒントは「GLA40年を振り返り、未来千年の礎とする」ではなかったかと推測します。この「未来千年の礎」の意味についてよく吟味できていなかったと思いますので、もう一度考えてみることにします。

 GLA40年の歴史というものは、ある側面から眺めますと、「人を排除していった歴史」と呼べるのではないでしょうか。具体的には、これまでのレポートや記事にありますように、法の継承時の鍛錬、1981年の予言、「人間のまなざし」シリーズの学びなどが該当します。そして、現在も「佳子先生の法に共感できること」「面接にあたっておかしな様子が見られないこと」を入会承認の基準としていることは、「人の排除」が依然として続いているという事ではないでしょうか。

 これらは全て神の御意志に基づくものであり、止むを得ない事情があったという点では、確かにその通りであると思いますが、それだけでは割り切れない「痛み」を感じることも事実ではないでしょうか。そうしますと、その「痛み」を「一人も排除しないGLAを実現する」という「願い」に転換することができるはずですし、その「願い」こそを「未来千年の礎」とすべきではないかと思われます。「一人も排除しない」ということは、「一切の人を救済する」と同義であるとも考えられますが、「目の前に集ってきた人を一人も排除しない」という意味に考えますと、かなり具体的で身口意に結びやすいことではないでしょうか。

 但し、「一人も排除しない」ということは相当に難しいことであり、智慧と努力を尽くして、その願いに一歩一歩近づいてゆくしかありません。特に外国においては、ほとんど共同体の基盤が整っておらず、今後「人」「理」「場・システム」のバランスを取りながらすそ野を広げてゆく必要がありますので、「一人も排除しない」ということとは両立できないかもしれません。それでも、現時点で会員を制限するのは「一人も排除しないGLA」を実現するためである、という「願い」は確かにして頂く必要があるのではないでしょうか。

 ここで、「一人も排除しない」ということを具体的に考えてみたいと思います。例えば上述の入会承認の基準については、単に基準を緩和したところで何の解決にもなりません。信次先生の法を求める人々、憑依に悩む人々を充分にお世話できる態勢を整えるということが「排除しない」ということではないでしょうか。そのためには信次先生の法の復活を果たしてゆくしか道は無いものと考えます。

 また、将来予想される「集団帰依」についても同様です。「GLA随想9 千年構想」のレポートに認めさせて頂いたことですが、他教団がGLAに集団帰依することを決断したとしても、「今まで通りの信仰を続けたい」と思う方々は必ず存在するはずです。同レポートでは、その方々のために「導入教義を設計する」というヴィジョンを示しましたが、その方々を排除しても構わないのであれば、もっと安易な方法があります。それは、別教団を設立し、相応の財産分けをした上で穏便に離れて頂く、という方法です。「一人も排除しない」という願いと決意がなければ、このような安易な方法に流されてしまい、「導入教義の設計」という重荷を背負うことはできないのではないでしょうか。

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