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GLA随想のコピー

「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。

歴史の整備:「誰もが菩薩になれる道」の伝承(1)

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歴史の整備:「誰もが菩薩になれる道」の伝承(1)

 「GLA40年を振り返り、未来千年の礎とする」について、また別の視点から検討してみたいと思います。

 「GLA40年」とは、一言で表現すると「誰もが菩薩になれる道が拓かれた40年」と表現できるのではないでしょうか。GLA40年の最後に期間に説かれた「菩提心発掘」は、「誰もが菩薩になれる道」の総仕上げの神理であったと思えるのです。「菩提心発掘」という神理の性質について、私の考えは「GLA随想4 7つのプログラム(歴史の整備を除く)」の18~19ページに発表させて頂きました。簡単に要約しますと、「菩提心発掘」は煩悩に対峙する事が難しい人であっても、「書写」や「瞑想」などの行を通じて、とりあえず煩悩の問題を横に置いて取り組むことができるという可能性を有していますが、煩悩に打ち克つ可能性を持っている人がその段階に留まってしまわないように、相当に場が成熟していなければ前面に打ち出せない神理である、というものです。このように、煩悩に対峙する事が難しい人にすら道が開かれたということは、「全ての人に道が開かれた」ということになるのではないでしょうか。従って、ある意味では「菩提心発掘が説かれた事を以って神理は一つの完結を迎えた」と考えてもよろしいのではないかと思われます。

 しかし、「誰もが菩薩になれる道とは如何なる道なのか」と問われたとき、「このような道である」と明確に回答できる人は皆無に等しいのではないでしょうか。それでは、「誰もが菩薩になれる道」を未来千年に渡って伝承してゆくことができなくなります。従って、「誰もが菩薩になれる道」について定見を深め、千年の伝承を果たしてゆく準備を整えてゆくことも「歴史の整備」の重要な目的の一つではないかと考えられます。

 悟りの九段階の視点から眺めますと、「誰もが菩薩になれる道」は、「7つの道」から構成されているのではないでしょうか。それは、段階外の人が第1段階に上がれる「第1段階への道」、第1段階の人が第2段階に上がれる「第2段階への道」、…(以下同様に)……第6段階の人が第7段階に上がれる「第7段階への道」です。そうしますと、「誰もが菩薩になれる道」について定見を深めてゆくためには、これら「7つの道」のそれぞれに対して定見を深めてゆく必要があるのではないでしょうか。

(1)如是我聞の分類
 「7つの道」について定見を深めてゆくためには、GLAの場で発表された如是我聞(対話ご指導を含む)が、それぞれ「7つの道」の何れに属するかを分類してゆく必要がありそうです。但し、如是我聞は「発表されたもの」、すなわち佳子先生が発表すべきとして選択されたものに限ります。その理由を説明します。人間は誰しも、何もできない赤ん坊から人生を始めなければならず、その後に悟りの九段階を一段づつ昇ってゆくことになります。ここで、過去世において既に到達した段階までなら、「思い出す」ことによって比較的スムーズに昇ってゆけますが、過去世に到達した実績の無い段階では大変な苦労が伴います。従って、「ある境地に至った如是我聞」が幾つかあった場合、それは「今生、新たに獲得した境地」の場合と、「思い出した過去世の境地」の場合とに分類されるはずです。そして、佳子先生が発表すべきとして選択されたものは、全て前者に属するものではないかと考えられます。

(2)如是我聞の特徴の抽出
 次に、「今生、新たに獲得した境地」の如是我聞と「思い出した過去世の境地」の如是我聞とを比較し、前者の如是我聞の特徴を「7つの道」ごとに抽出しておく必要があるのではないでしょうか。おそらく、その境地を獲得するまでの期間の長さ、試練の大きさ、本人の苦悩の大きさなどの点で、かなりの差が見られるのではないでしょうか。換言すると、例えば第6段階から第7段階に上がった人が多数おられたとしても、それは「第7段階への道」が整っている証拠にはならないわけであり、真に「第7段階への道」が整っているのか否かを見極めるための判断基準が必要ではないかということです。

(3)成立条件の抽出
 次に、「今生、新たに獲得した境地」の如是我聞が成立した条件を抽出しておく必要があると思います。本人の「志」が第一の条件であったことは勿論ですが、ここで抽出すべきものは、「GLA共同体に備わっていた条件」ということです。「理」の側面から考えると、「ある神理が説かれていた」という条件が必要であったかもしれません。また、本人をサポートする「場・システム」というものが必要であったかもしれません。また、佳子先生による個別のご指導やご同伴などを頂いた場合は、それも必要な成立条件であったと考えられます。7つのプログラムの「歴史の整備」として当面果たしてゆくことは、ここまでではないでしょうか。

(4)成立条件を転換する
 上述した成立条件のうち、「佳子先生による個別のご指導やご同伴」は、数十年後に佳子先生が御帰天されたときに無くなります。つまり、「7つの道」のうち佳子先生個人に強く依存しているものがあるとすると、それは「そのままの形では千年の伝承を果たせない」ということになってしまいます。従って、今後数十年かけて、佳子先生が現在果たして下さっているお役割を可能な限り弟子が担えるように成立条件を転換してゆく必要があるのではないでしょうか。ここまで来ると、GLA共同体の態勢全般に関わることであり、「歴史の整備」というテーマから相当に離れますが、「必要である」ということは間違い無いものと思われます。但し、「7つの道」を全て整えるという事は大変に難しいことであると私は考えます。この点については、稿を改めて考えを述べてみたいと思います。

(5)未来千年の礎とする
 未来千年に渡って、「7つの道が全て整っているGLA」とは、ある意味で理想的な姿と呼べるのではないでしょうか。感動的な如是我聞が数多く分かち合われたとしても、「7つの道」の何れかが不備であれば、「誰もが菩薩になれる道」はそこで途切れているということになります。7つの道が十全に整っているのか否かは、それぞれの道において、「佳子先生が発表すべきとして選択された如是我聞」と同様の特徴を有する如是我聞が継続的に誕生しているのか否か、という観点から判断されるべきものと考えます。しかし、上述のように、「7つの道」を全て整えるという事は大変に難しいことではないかと私は考えています。「礎」という言葉から「もう既に出来上がっている基礎」というイメージを持たれる方は多いのではないかと思いますが、「未来千年の礎とする」というのは、「未来千年に渡って、そこに向かって挑戦し続ける」と考える方が正しいのではないかと思われます。

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