「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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7月10日付のブログでは、「歴史の整備」について、職員や伝研生など一部の方々から成る検討チームを発足させる必要があるとの考えを発表させて頂きました。さらに、この検討チームの人選についても考慮する必要があるのではないかと思われました。それは、「検討チームのメンバーは高橋信次先生と対話して頂いたことの無い方々でなければならない」ということです。信次先生ご在世当時の情報の多くは「信次先生と対話して頂いたことのある方々」が持っておられますので、その方々は「検討チームに情報を提供する」という側面から貢献して頂く必要があると思われますが、検討の場には参加しないようにして頂く必要があるのではないかと思われます。その理由について、以下説明します。
法の継承時の鍛錬のために信次先生が仰ったお言葉は、「あなたは大天使である」「このままではGLAはダメになる」などのセンセーショナルなお言葉だけではないようです。うっかりすると聞き流してしまうような、平易そうに見えるお言葉の中にも、巧妙な仕掛けが見られる場合があります。このブログでは具体的な内容を明かすことはできませんが、弟子のカルマの働きを巧妙に引き出して、その弟子に正しい判断ができなくなるような仕掛けをされているように見受けられる事例があります。すると、その方にとって「法の継承時の鍛錬」は現在もまだ続いており、本人が自ら真相に気付かれるか、あるいは本人が逝去されるまで、他人はその事に気付いても口出しすべきではありません。
そのような鍛錬を受けている人が検討チームに属して他のメンバーと議論をしてしまいますと、正にその本人の目の前で、他の人によって鍛錬の真相が明かされてしまうようなことが起こりかねません。このような事が起こりますと、せっかくの鍛錬が台無しになってしまいます。そして、この種の危険は「信次先生のお言葉」のどこに埋まっているのか、全容が全く見えません。このような状況下で危険を回避するためには、「現在もなお鍛錬を受けておられる可能性のある方々」すなわち「信次先生と対話して頂いたことのある方々」全員に検討チームから外れて頂くしか無いように思えます。
法の継承時の鍛錬については、「GLA随想3」のレポートにて私の考えを発表させて頂きましたが、この点についてGLAからなんらかの形で(例えば書籍として)公式見解を発表して頂く必要があるのではないかと考えています。 それは、分派の方々の誤解を解き、神理を学ぶ場を再び統合してゆく ことが呼びかけられているのではないかと思われるためです。
私のレポートの内容については、GLAに対して著作権などを主張するつもりはありませんので、自由に使って頂いて結構ですが、「GLA随想3」のレポートの内容をそのまま公式見解にしたとしても、「これはGLAにとって都合のいい解釈を並べているだけでしょう」などと言われ、分派の方々の理解を頂くことは難しいのではないかと考えています。
同レポートの内容は、まだ「理論」「仮説」の段階であり、分派の方々の理解を頂くためには「実証」が必要ではないかと考えます。そして、「実証」を果たすためには、法の継承時に鍛錬を受けられた方々のうち、GLAに残った方々による「如是我聞」が必須ではないでしょうか。GLAに残った方々のうち鍛錬を受けられた方々がどなたであるのか、私は詳細には存じませんが、少なくとも高橋一栄会長と高橋興和講師のお二人は、含まれているのではないかと考えています。
まず、高橋一栄会長について考えてみたいと思います。「GLA随想3」の中で挙げさせて頂いたS氏が発表した情報によりますと、大講演会の席上で佳子先生が一栄会長に向かって「あなたは私を産んだことを感謝しなさい」と仰り、一栄会長はひざまづいて「あなた様を産ませて頂いたことを感謝します」と仰ったことがあったそうです。S氏は、この出来事に対して「良識ある人々のひんしゅくを買った」と評していましたが、確かに表面上の出来事だけをとらえると、そのように言われても反論のしようがありません。
S氏が発表した他の情報によりますと、法の継承直後の時期には、一栄会長は佳子先生に対して不信感、猜疑心を抱いておられたようであり、この不信感、猜疑心が上述の出来事の背景にあったのではないかと考えられます。例えば、一栄会長は大講演会の際に「こんな娘など産まなければよかった」とふと想われたのではないでしょうか。その瞬間、その想いを佳子先生が察知され、上述のように仰ったのではないかと私は推測しています。
一栄会長が佳子先生に対して不信感、猜疑心を抱かれたとすると、その原因は信次先生が一栄会長に課された鍛錬によるものではないでしょうか。すなわち、一栄会長は元々不信感、猜疑心を抱きやすいカルマを持たれており、そのカルマのエネルギーを最大限に引き出すように信次先生が関わられたのではないでしょうか。
実際のところどうであったのか、真相は一栄会長から発表して頂かなければ解りませんが、背景の説明が無いままに表面的な出来事ばかりが伝わってしまいますと、これは佳子先生に対する誤解を今後とも生み出し続ける要因になり、未来千年に渡って禍根を残してしまうことになるのではないでしょうか。一栄会長には、「如是我聞」という形で真相を開示して頂く必要性を感じます。
次に、高橋興和講師について考えてみたいと思います。S氏が発表した情報によりますと、 白浜研修会の際、興和講師は「高橋信次先生はニセモノである」「この研修会が終ったら私はGLAをやめる」という発言をされたようです。このことから、興和講師も元々不信感、猜疑心を抱きやすいカルマを持たれており、やはりカルマのエネルギーを最大限に引き出すように、信次先生は興和講師に対しても関わられたのではないでしょうか。従って、興和講師にも「如是我聞」という形で真相を開示して頂く必要性を感じます。
お二人の他にも鍛錬を受けられた方々はおられるかもしれませんが、如是我聞をして頂くことは必ずしも容易ではないと思われます。それは、S氏の事例から推察しますと、鍛錬は相当に厳しいものであったように見受けられ、鍛錬を受けられた方々が、「もうこの話は忘れてしまいたい。蒸し返さないでほしい」と思われていても不思議ではないからです。
如是我聞を実現してゆくためには、職員の皆様によって「同苦同哀」の風土を事務局の中で育んで頂く必要があるのではないでしょうか。S氏の事例について振り返ってみても「内界の闇を看取り浄化すること」はなかなか難しいものであることが解ります。私自身も、もしS氏と同じような形で鍛錬を受けていたら、同じように悩乱してしまったのではないかと思います。そのように考えますと、一人一人が鍛錬を「自分自身のこと」として引き寄せることは難しいことではないと思います。
また、実際に鍛錬を受けられた方々は、全ての弟子を代表して厳しい鍛錬を受けられたわけですから、そのことを思いますと、「畏敬」と「感謝」の念も自然に湧いてくるのではないでしょうか。
本レポートでは、「歴史の整備」に関して「GLA随想1,2」のレポートでは触れなかったことを触れさせて頂くことにしました。
本レポートを発表するかどうかについては、大変に迷いました。それは、本レポートはGLAの歴史の悲しい側面に触れることになり、多くの方々に「とらわれ」を引き起こす縁になってしまうように思われたためです。
しかし、今後、在家の会員の皆様にもGLA共同体の様々な方針の立案に関与して頂く必要性があるのではないかと考えます。GLA共同体の方針を検討するにあたっては、GLAの歴史の悲しい側面についても知って頂くとともに、「GLAの三つの柱」すなわち「人」「理」「場・システム」のバランスを取ることの大切さを心に落として頂く必要があるのではないかと思われました。
そこで、様々な制約が生じることは承知の上で、本レポートを発表させて頂くことにしました。
法の継承時の前後には、多くの人々がGLAを去ってゆかれました。GLAを去ってゆかれた人々の中には、「信次先生から、自分は大天使であると告げられた」「信次先生から、このままではGLAはダメになると告げられた」などと主張をされている人もおられます。このような主張は事実なのでしょうか?事実であるとすると、それはどのような意味があるのでしょうか?このレポートではその謎の解明に挑戦しました。
また、このレポートでは、その謎の解明のため、「魂の因果律」についても、さらなる探求をしてゆきました。
煩悩地図では、四つの煩悩のそれぞれについて、主要な受発色の系列の数は「3」です。
12の菩提心も、四つの煩悩のそれぞれについて、「3」づつ割り振られています。この共通して登場した「3」という数字にはどのような意味があるのでしょうか?このレポートでは、この「3」という数字の意味を検討しました。
そして、この検討結果により、煩悩地図に基づく神理の体系が如何にして構築されてきたのかを垣間見ることができたように思えます。それは、天上界におられる信次先生と地上界におられる佳子先生との響働のお姿であり、弟子が天上界との響働を果たしてゆくにあたって何よりのモデルになるものと思われます。