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GLA随想のコピー

「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。

社会発信力の強化に関する追加の考察(3)

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社会発信力の強化に関する追加の考察(3)

 一昨日(9月26日)の記事にて「コミュニティ・デザイン2001」の意味について考察しましたが、今ひとつ的を得ていなかったように思われましたので、再考したいと思います。

 「コーディネーション」または「社会発信」を果たしてゆくために必要な「智慧」とは何であるのかという点について、一昨日の記事は「先生が下さったご指導の総体が智慧である」という考えを前提にしていました。この考えによりますと、先生が下さったご指導の内容(「これをしてはならない」「こうしなければならない」など)は、「対象となる人」が相違すれば異なりますので、「コーディネーションの智慧」と「社会発信の智慧」は異なる、ということになってしまいます。

 しかし、「人間の諸相」の一節には「智慧とはただ“なる”ことであった」とあります。このことから、コーディネーションについても、社会発信についても、「ただ“なる”こと」が「智慧」ではないかと考え直しました。つまり、「自分自身が相手になりきって相手の心のひだまで感じられるようになること」「その上で相手にとって最も必要なことを、最も理解しやすい形でお伝えすること」が「智慧」ではないかと思えてきました。これは言葉を変えますと、「先生が下さったご指導」そのものが智慧ではなく、「ご指導の内容を自ら見出してゆく力」こそが智慧であるということになります。そうしますと、「コーディネーションの智慧」も「社会発信の智慧」も本質的には同じものであり、コーディネーションを極めれば社会発信についても達人になれるということになります。

 「ただ“なる”こと」という本質的な智慧は、千年の伝承を果たしてゆくにあたって不可欠なことではないでしょうか。現在の会員を対象とするコーディネーション、あるいは現在伝道対象として想定している人々に対する社会発信について先生が下さったご指導は、そのままの内容では、信次先生の法の復活、集団帰依のお世話、神理のローカライズなどを果たしてゆくにあたって不十分ではないでしょうか。弟子が「ただ“なる”こと」という本質的な智慧を恢復して不十分な点を補ってゆくことが今後は必要になってくるものと思われます。

 但し、「ただ“なる”こと」の智慧を体得してゆく最初の段階では、「対象を限定して自らを『型』に投げ入れる」ということが必要ではないでしょうか。これは、具体的には、「コーディネーションまたは社会発信の何れか一方の分野に限定し、その分野について先生が下さったご指導の内容を刻印して、その通りに動く」ということです。「自らを『型』に投げ入れる」ことの重要さはテキストブック「GLA会員の基本ライフスタイル」にも詳述されています。「『型』の通りに動ける」という事がある程度果たせる段階に至って、初めて「『型』にとらわれずに自在に動く」という鍛錬に挑戦できるのではないでしょうか。

 コーディネーション担当の方がホームページを作成された際、先生は内容について全くご指導をされず、「担当を変更するように」というご指示もされなかったように見受けられます。それは、「コーディネーションの『型』を離れて自在に動く練習をするのは時期尚早であるから、そのことに自ら気づきなさい」という意味ではなかったかと思われます。

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