6月27日,29日の記事(7つのプログラムの解答を先生に開示して頂くことについて)では、「佳子先生からテーマを頂いた後、青写真が開示されるまでの期間は、鍛錬に取り組むことができる貴重な期間であり、その期間内に鍛錬を行なわなければ、取り返しがつかない」という私の考えを述べさせて頂きました。また、佳子先生が既に開示された青写真(特別供養,八ヶ岳の止観シート研修I)に対して、私が事前に描いていたヴィジョン(合同法要,受発色シートの研修)についても紹介させて頂きました。
これらの記事では、私が描いたヴィジョンについて、私自身にとっては「私には何が足りないのか」「より高い境地を獲得してゆくには何が必要なのか」ということが見えてくる点で貴重な宝ではあるけれど、私以外の人にとっては全く無価値なものである、という考えも述べさせて頂きました。しかし、私の描いたヴィジョンが私以外の人にとって本当に無価値なものであるのかどうか、もう一度考え直してみましたので、その結果を発表させて頂きたいと思います。
もう一度考え直しましたところ、私の描いたヴィジョンは、私と同じような考えをする方にとっても、「その方には何が足りないのか」「その方がより高い境地を獲得してゆくには何が必要なのか」ということが見えてくる点で、やはり有意義なものではないでしょうか。「私と同じような考えをする方」は、未来千年に渡って数多く現れるのではないかと思います。但し、その方はGLAに入会された後、佳子先生が既に開示された青写真(特別供養,八ヶ岳の止観シート研修I)を早い段階で目にすることによって、その必要性・必然性が意識の中にすり込まれてしまいまう点が私とは異なります。
必要性・必然性が意識の中にすり込まれてしまった後になって、その方が「もし、特別供養や、止観シート研修IがGLAに無かったとすると、自分はどのようなヴィジョンを描いただろうか?」と想起することは、非常に難しいことではないでしょうか。想起するためには、特別供養のことも止観シート研修Iのことも完全に忘却して、「特別供養も止観シート研修Iも無いGLA」に実際に身を置く以外に方法は無いように思われますが、それは未来千年に渡って不可能なことです。
そうしますと、その方は、佳子先生が開示された青写真と私の描いたヴィジョンとを比較して、「その方ご自身の問題点」というものを見出して頂くことが必要になるのではないでしょうか。それは、その方が他のテーマの青写真にアクセスしてゆく際に大いに活きてくるものと思われます。未来千年のことを考えてみますと、現在では想像できないような様々な解決や創造のテーマが生じてくるはずであり、その全てについて佳子先生に予め青写真を示して頂くことは不可能なことです。弟子の響働によって青写真にアクセスするためには、一人一人の弟子が「自分にはどのような問題点があり、どのような視点落ちが生じやすいのか」という事を認識しておくことが大切ではないでしょうか。初代弟子の果たした挑戦というものは、未来千年に渡って、その認識を形成してゆくための重要な介在になることが予定されているように思います。
その意味では、GLA誌に掲載され続けていた7つのプログラムの方針案も大変に重要なものであるということになります。この方針案の問題点は本ブログでも再三申し上げてきましたが、この方針案がGLA誌に掲載され続けたということは、「この方針案を打ち出した方々と同じような考え方をする方々が未来千年に渡って現れ続ける」ということではないでしょうか。そうしますと、この未来千年に現れ続ける方々は、「現状の方針案の問題点」を「自分自身の問題点」としてとらえて頂く必要があるということになります。
ただ、正直申しまして、現状の方針案はかなりレベルが低いもののように見受けられますので、未来千年に渡って活用され続けることを考えますと、さらに青写真に近づいた方針案も併せて打ち出す必要性を強く感じます。最終的に佳子先生に解答を示して頂くにしても、その後でなければならないものと思われます。