「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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前記事では、四聖日の前半のプログラムを例として、「将来は(具体的にいつからそうなるかは解りませんが)、佳子先生は大まかなコンセプトだけを指示され、細かい点については全くご指導がなく、全て弟子に委ねられるようになる」という考えを述べさせて頂きました。「具体的にいつからそうなるかは解りません」というのは、「何年後」という形で時期を示すことができないという意味ですが、「何が起こった時にそうなるのか」という事であれば、一つの可能性として予測できる事があります。
それは、担当職員の世代交代が起こり、佳子先生よりも20年、30年若い世代の方々(現在の青年層、青年シニア層の方々)が担うようになって暫く経った時かもしれない、ということです。昨年12月19日の記事(有余の菩薩について(2))で述べさせて頂いたように、「至らない点を露呈して佳子先生からご指導を頂くこと」が有余の菩薩である初代弟子の使命であるとすると、現在の担当職員の方々はその使命を果たされていることになります。その考えが正しいとすると、次世代の担当職員の使命は、「ご指導を頂くことなく(あるいは僅かなご指導に基づいて)具現を果たす」という事になろうかと思いますので、その点で使命の内容が異なるのではないかと考えられます。
その使命を成就してゆくために最初に果たすべき仕事が、その分野について過去に頂いたご指導を整理し刻印すること、すなわち「歴史の整備」を果たすことではないでしょうか。そうしますと、その分野の「歴史の整備」は、担当職員の世代交代が始まった時にスタートすべきことであり、現時点ではスタートできないのではないかと思われます。
ただ、上述しましたことは、「現在の青年層、青年シニア層には、それだけの智慧者が揃っている」ということが前提になっています。私は、その世代の方々についてほとんど何も存じておりませんので、この前提がどこまで正しいのかよく解らない点があります。また、現在の職員の方々が抱いている可能性についても、私にはよく見えておらず、低く見積もり過ぎているのかもしれません。しかし、もし「大まかなコンセプトを示されただけで四聖日の前半のプログラムを担うことは無理だ」と現在の職員の方々が思われるのであれば、それはおそらく本当に無理なことであって次世代の方々に委ねるしかないのではないでしょうか。
もし、青年層、青年シニア層の方々にそこまでの期待をかける事が妥当であるとすると、当面の期間、初代弟子が果たすべき「歴史の整備」とは、「法の継承時の鍛錬の意味を明らかにする」という一点に絞っても構わないのではないかとも思えます。このテーマについては、実際に信次先生から鍛錬を頂いた方々の如是我聞が無ければ完結しないため、次の世代に委ねることが出来ないのではないでしょうか。
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