「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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9月27日の記事では、職員の皆様の希望に基づいてGLA公式FacebookページにてGLAの活動に関する議論が解禁されるべき、との考えを発表しましたが、ボーディ・サットヴァ・ウィズダムについての考え方が誤っていたように思いますので訂正します。
現在のところボーディ・サットヴァ・ウィズダムは在家の会員に開示されていませんが、これは在家の会員にも開示されるべきではないかと考えます。その理由は、ボーディ・サットヴァ・ウィズダムを拝読していない人がGLAの活動に関することを提案したとしても、それはボーディ・サットヴァ・ウィズダムに整合しないものになってしまい、採用できないものになる可能性が大きいためです。公式Facebookページにおける議論を有意義なものにするためには、ボーディ・サットヴァ・ウィズダムを開示して頂く必要があるのではないでしょうか。
従って、「公式FacebookページにてGLAの活動に関する議論を解禁すること」と、「ボーディ・サットヴァ・ウィズダムを在家の会員に開示すること」とはセットで考える必要があるのではないかと思われます。
GLA公式FacebookページにてGLAの活動に関する議論が制限されている理由について、本ブログにて何度か私の考えを認めたことがありましたが、今一度考え直しましたところ、「先生は、職員の皆様が希望されるまで、議論を解禁することを待っておられる」ということが正しいのではないかと思われました。
FacebookページにてGLAの活動に関する議論が解禁されたならば、職員の皆様にとって耳の痛い発言が様々飛び出してくることが予想されます。それは、GLAにとって迷惑で邪魔なことなのでしょうか。それとも、GLAにとって有益なことなのでしょうか。もし、GLAにとって有益なことであると判断されるなら、議論を解禁するように、職員の皆様から先生に願い出て頂く必要があるのではないでしょうか。
但し、在家の会員はボーディ・サットヴァ・ウィズダムを拝読できませんので、発表される意見は表面的なものにならざるを得ない場合が多いと思われます。例えば、「GLAのホームページの出来が悪い」と思ったときは、単に「出来が悪い」という事しか発言できない場合が多いのではないでしょうか。このような意見に遭遇したとき、「ホームページの出来が悪いのは、共同体内の役割分担がコミュニティ・デザイン2001に反しているからである」という本質的な原因を見抜いて対策を講じることは、職員の皆様に果たして頂く必要があるのではないでしょうか。
5月23日、29日付のブログでは、GLA公式FacebookページにてGLAの活動に関する議論が制限されている理由として、「事務局内でセクショナリズムが蔓延しており、セクショナリズムを脱却するまで先生は在家の会員の議論を制限されているのではないか」との考えを発表しましたが、どうもこの考えは間違っているのではないかと思われました。つまり、事務局内でセクショナリズムが蔓延しているならば、それは脱却して頂く必要がありますが、そのこととは切り離してFacebookページにて議論を重ねても差し支えないのではないかと思われました。そこで、GLAの活動に関する議論が制限されている理由について再考してみました。
議論が制限されている理由は、おそらく、「GLAの活動に関する議論のルールが定まっていない」ということではないかと思います。従って、担当職員の皆様にて妥当なルールを定めて頂ければ、Facebookページにて7つのプログラム等についての議論が解禁されるのではないかと考えます。このルールの内容について、私は以下のように考えています。
7つのプログラムのそもそもの目的は「菩提心発掘」ということにありました。会員の皆様が、他の会員の方々あるいは今後GLAに集われる方々のことを思い遣って、今後の方針のこと(すなわり「歴史の整備」以外のテーマ)について議論を重ねることは、「菩提心発掘」という目的に結びつくのではないでしょうか。従って、「歴史の整備」以外のテーマについては、一定の節度を保って頂けるならば、自由に議論して頂いて構わないのではないかと思います。
一方、「歴史の整備」について、私が考察した範囲では、とらわれを引き起こす事や、様々な方のプライバシーに触れることが多く、Facebookページにて議論することがふさわしいとは思えない面がありました。従って、「歴史の整備」については、職員や伝研生など一部の方々から成る検討チームにて検討して頂くこととし、Facebookページにて議論することは差し控えて頂くことが妥当ではないかと思われます。
なお、「歴史の整備」の中の特に「法の継承時の鍛錬」については、会員の皆様が持っておられる情報も重要かと思われますので、窓口を定めて情報を募集することも必要になるかもしれません。しかし、集まった情報は上述の検討チームでの検討のみに使用し、Facebookページ等にて公開することは差し控えて頂くことが必要ではないかと思われます。
「GLA随想5」のレポートでは、会員の皆様に「押し上げる力の結集」を果たすことを提案させて頂きました。実際に押し上げる力を結集させてゆくためには、ネットワーク上に会員専用のコミュニティを設けることが望ましいものと考えられます。最近、GLAのホームページを拝見しますと、「GLA公式Facebookページ」というものが設けられたようであり、これは一見すると押し上げる力を結集させてゆくために好都合な介在であるかのように見受けられます。
しかし、当該ページのガイドラインを拝見しますと、「本ページは、GLAの活動のご案内と報告、会員同士の軽快なコミュニケーションの「場」を提供することを目的として作成されたものです」「本サービスは、GLAの活動に関する質問・回答を行う場ではありません。当ページの管理者も、こういった質問・コメントに対する回答は行いません」とあります。これでは、本ブログにあるような話題について議論することができなくなります。
このガイドラインに示された「目的」について考えてみますと、「GLAの活動のご案内と報告」については、従来の会員用ホームページで事足りるのではないでしょうか。また、「会員同士の軽快なコミュニケーションの「場」を提供する」というのは、「全く意味が無い」とは言えませんが、さほど必要性の高いものではないと思われます。
このように考えますと、公式Facebookページがそもそも何のために設けられたのか解らなくなってしまいますが、当該ページは高橋佳子先生のご指示により設けられたものと思われますので、やはり相応の目的がある筈ではないかと考えます。
おそらく、将来は当該ページにてGLAの活動に関する議論が解禁され、様々なテーマについて会員の皆様が自由に意見交換できるようにすることが予定されているのではないでしょうか。但し、現時点では解禁する時期ではない、ということではないかと思います。
逆に、現時点でGLAの活動に関する議論を解禁すると、何が起こるかを考えてみたいと思います。その場合、このブログで取り上げた「お世話構造の十年ヴィジョン」「7つのプログラム」等に関する様々な問題について、議論が湧きあがることは必至ではないでしょうか。そうしますと、「これらの問題が生じた過程を仔細に後智慧するとともに、対策を立案し、全会員に公開するように」との会員の皆様からの催促が相次ぎ、職員の皆様は、その対応に追われることになるでしょう。
私は、そのことはGLAにとって必要なことであると思っておりますし、そもそも私がこのブログを開設した目的も、会員の皆様に世論を形成して頂き、押し上げる力を結集して頂くことによって事務局に変革を促すことにありました。
しかし、様々な問題の根底には、「共通のテーマ」というものが横たわっているのではないかと思われます。この共通のテーマにメスを入れることなく個別の問題に対応してゆくようなことをしますと、形を変えて同じような問題が今後とも起こり続けることになるでしょう。
この共通のテーマを見出して対峙してゆくためには、ある程度の期間が必要なのかもしれません。現時点でGLAの活動に関する議論が制約されているのは、その期間内には催促が来ないようにと、先生が配慮して下さったのではないかと思われます。