「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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前記事の続きです。私は、国や地方自治体が実施しているホームレス対策というものをよく知らなかったのですが、インターネット上の情報を見る限り、かなり充実しているのではないかと思われました。
ホームレスの人が自治体に救済を求めますと、就労可能な人は「自立支援センター」という施設に入所し、そこで宿所、食事の提供を受けながら就労による自立を目指すということです。一方、就労困難な人は生活保護による救済を受けることができます。念のため電話で台東区に確認したところ、同区の自立支援センターの定員には余裕があり、申請すればすぐに入所できるということでした。
すると、現在ホームレスになっている人の大多数は、「自分はホームレスのままでよい。社会復帰などしなくてもよい」と考えているのではないかと推測されます。仮にその通りであるとすると、GLA共同体が果たすべきホームレス対策というものが見えてくるように思います。それは、「自分はホームレスのままでよい」という思いを「何とかして社会復帰を果たしたい」という思いに変革してゆく事ではないでしょうか。勿論、この内的変革は本人が果たさなければならないことですが、そのための「縁」をGLAが提供してゆく事が大切かと思われます。そして、内的変革を果たした後のお世話は、行政機関の役割であると考えてよろしいのではないでしょうか。
もう少し具体的な事を考えますと、例えば、GLAがホームレスに対して食事などの配給しながら、その場で自立意識を高めてゆけるような学びの場を設ける、あるいは希望者には様々な相談に乗るような方策があるのではないかと思われます。
前記事の続きです。地域、社会、世界に「青写真に基づくヴィジョン」を発信してゆくにあたって、最初に何に取り組むべきかを考えてみました。そうしますと、「ホームレス問題」が妥当ではないかと思えてきました。
GLA総合本部付近では、多数のホームレスの方々が厳しい生活を強いられていますが、その中には、まじめで勤労意欲の高い方もおられます。そこで、GLAが行政機関や慈善団体などと連携して、「共に青写真にアクセスする」という事を果たせるのではないかと思われます。その付近にはGLA会員の方も多数在住しておられますので、行政機関の担当者など、ホームレスの実情に詳しい方もおられるのではないでしょうか。
ここまで来ると、正に「神理実践を果たす」ということであり、「広報」という事から外れるように思われる方もおられるかもしれません。しかし、「神理実践の実際を世間の人々に見て頂く」という事は、何よりの「広報」になるのではないかと思われます。
次に、具体的な取り組み方について考えてみたいと思います。ある人がホームレスになってしまったのは偶然ではなく、神理のまなざしから眺めると、ある種の必然があるのではないでしょうか。つまり、その人に対して、世界から何かが呼びかけられているのではないでしょうか。その人に同伴し、共に世界からの呼びかけを聴き応えてゆくという面で、GLAは行政機関や慈善団体などが果たせなかった事を果たせるのではないかと考えています。
次に、「広報していくためのシステム」について考えてみたいと思います。「ホームレス問題」の例では、ホームページに掲載する文書や映像構成などを媒体とすることが考えられますが、やはり開けゆくみちの皆様にフロントを担って頂く必要があるのではないでしょうか。開けゆくみちでは、「伝道全体のコンセプト」というものがあるものと考えます。例えば「一億総ベストの時代」が「伝道全体のコンセプト」であるならば、それに沿うように、ホームページ上の文書や映像構成などを作成してゆく必要があるものと考えます。
「社会発信力の強化」については、「より多くの方々に、先生、神理を理解し、生きていただくために、地域、社会、世界に広報していくためのシステムを整える」というテーマが示されています。ここで、「地域、社会、世界に広報するものは何か?」という問題について、私は漠然と「神理」「GLA」「佳子先生」という範疇で考えていました。しかし、そこに「青写真に基づくヴィジョン」という要素が含まれるのではないかと思われました。つまり、GLA共同体が地域、社会、世界に満ちる問題に対して、様々な解決、創造の青写真にアクセスし、それをヴィジョンとして広報してゆくことが呼びかけられているのではないかと思われます。
「青写真に基づくヴィジョン」そのものは、「神理」「GLA」「佳子先生」を示す言葉はほとんど含まれていないことが多いかもしれません。しかし、現実の問題に応える力を示すことこそ、何よりも雄弁に神理の確かさを示すことに繋がるのではないでしょうか。地域、社会、世界に充ちる問題に対して様々な人々が解決方法を提言していますが、多くの問題は解決されないままになっています。それは、大多数の人々が「青写真にアクセスする」ということを知らないからであり、「青写真に基づくヴィジョン」を発信できる存在と言えば、ほぼGLAしか無いのではないかと思われます。
では、「青写真に基づくヴィジョン」を広報していうためのシステムとは如何なるものかを考えてみますと、それは「神の御心を因とする、宇宙に流れる因縁果報のはたらきの布陣」が中心になるのではないかと思われます。解決、創造のテーマに気づいた人が、まずその事を発信し、多くの会員の皆様の響働によって青写真にアクセスしてゆくことができるのではないかと考えられます。但し、「はたらきの布陣」と言いましても、GLAの内部の問題ではなく、外部の問題を扱うことになるため、情報の収集・分析などを果たす新たな要素が必要になってくるのではないかと思われます。この点については、後でもう少し具体的・詳細なことを検討してみたいと思います。
昨年8月3日の記事では本ブログを終了するごあいさつをさせて頂きました。
実は、その頃には、私の人生の時間があまり残されていないのではないかと思っていたのですが、その後に思ったよりも長い時間を頂きました。
まだまだ探求を続けたいことはあるのですが、もうあまり時間が残されていないのではないかと思われます。
もし、一年以上、本ブログが更新されなければ、それは本ブログが終了したものと理解して下さい。
このブログが少しでもGLAの同志の皆様のお役に立てれば、嬉しく思います。
前記事の続きです。「はたらきの布陣」を構築してゆくことが困難である第一の理由は、前記事で述べましたように、「佳子先生の御指示を頂けない」という点にあるのではないかと思います。さらに、第二の理由として、「不連続な飛躍を果たさなければ実現できない」という点があるのではないかと思います。つまり、「易しいものから難しいものに段階的に挑戦してゆく」ということができず、ある程度高いレベルの事にいきなり挑戦しなければならないのではないかと思います。
一例として、「7つのプログラム:研鑽の充実」の地域拠点における研修について考えてみたいと思います。再三述べてきましたように、この研修は止観シートの研修を指すものと私は考えておりますが、その通りであるとすると佳子先生はなぜヒントの中に「止観シート」という言葉を使われなかったのでしょうか。もし、佳子先生が「止観シート」という言葉を使われますと、「止観シートの研修」という青写真に誰もアクセスできなくても、また、青写真に共感できなくても、「止観シートの研修」というものが実現できてしまうためではないでしょうか。これでは、「はたらきの布陣」を構築してゆくことができないのではないかと思われます。
止観シートの研修を早期に実現することは大切なことであると思いますが、未来千年のことを考えますと、「はたらきの布陣」を構築してゆくことを優先させなければならず、そのために「止観シートの研修」という事を明示されなかったのではないかと思われます。GLA随想4のレポートに認めましたように、佳子先生はヒントの中で「止観シート」に相当するものとして、例えば「神理の基礎を学べる教材」のようなお言葉を使われたのではないかと推測します。おそらくこれは「はたらきの布陣」を構築してゆけるぎりぎりのヒントであり、これよりも解りやすいヒントを使われますと、やはり「はたらきの布陣」を構築してゆくことができなくなるのではないかと考えられます。このように、最初の段階から、ある程度のレベルの事を実現しなければならない点で、不連続な飛躍を果たす必要があるのではないかと考えられます。
また、「はたらきの布陣」を構築してゆくことが困難である第三の理由として、「最初から全体が見えない」という点も挙げられるのではないでしょうか。一般社会においても、GLAのプロジェクトにおいても、「組織」というものは全体の構成が明確であり、組織の中で「誰がどのような役割を果たすのか」という役割分担も明確であり、そうであるからこそ、組織が機能するのではないでしょうか。それに対して、「はたらきの布陣」は、少なくとも最初の段階では、全体がどうなっているのか、誰がどのような役割を果たすのかがさっぱり見えてこないという点に特徴があるのではないかと思います。つまり、通常の組織のあり方、指揮・命令系統のあり方などの常識に囚われていると、「はたらきの布陣」を構築してゆく方向に動くことができなくなるのではないかと思われます。
「はたらきの布陣」が実際にどのようなものであるのか、私自身も漠然としたイメージしか抱けないのですが、御著書「レボリューション」の「志の連帯」の章に示された「ネットワーク」に近いものになるのではないかと考えています。幕末の時代、一人一人の志士の中で、最初から「明治維新を起こそう」と計画した人は誰もいませんでした。それぞれが「日本の将来のために必要」と考え行動したことが繋がって、「明治維新」という結果が生まれました。「はたらきの布陣」についても、一人一人が「GLA共同体にとってこの事が必要」と感じたら行動を起こすことの積み重ねによって、形が見えるようになってくるのではないかと思います。
以上のように、はたらきの布陣を構築してゆくことには、様々な困難が伴いますが、弟子がその飛躍を果たせるからこそ7つのプログラムが与えられているのだと思いますし、その飛躍を果たせなければ千年の伝承というものも果たせなくなるのではないでしょうか。これまで述べてきました事の繰り返しになりますが、将来のGLAでは、誰かが青写真にアクセスできたとしても、多くの人がその青写真に共感されない限り、青写真は具現されることはありません。また、「青写真にアクセスできる」と言いましても、常に間違えることなくアクセスできるわけではなく、常に細部まで行き届いた形でアクセスできるわけでももありません。そのような点を補いつつ、GLA共同体が神意・青写真を具現してゆくためには、「はたらきの布陣を構築する」という以外に方法は無いのではないでしょうか。それゆえ、それが如何に困難な事であっても、挑戦を果たしてゆく以外に道は無いのではないかと思われます。
「私たちが魂共同体千年構想を果たしてゆくためには、神の御心を因とする、宇宙に流れる因縁果報のはたらきの布陣に就くことが大切」(GLA誌1999年11月号66ページ)という佳子先生のお言葉の重さを、改めて噛みしめてゆく必要があるのではないでしょうか。