「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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一昨日の記事(数多の菩薩湧出のヴィジョン(8))について、もう少し考えてみたいと思います。
近年、佳子先生が弟子に与えられる課題は、「テーマが明示されない」という点で厳しさを増しているのではないかと思われます。職員の方々に対して、「在家の会員と響働するという青写真にアクセスし、会員専用コミュニティの創設を願い出る」事を5年間待たれていたという考えは、おそらく正しいものと考えます。そうでなければ、2013年5月以前の期間がほとんど無意味であったという事になってしまうからです。
ここで、その課題について、「7つのプログラムの元々の願いに立ち返って、如何なる態勢を構築すべきか青写真にアクセスしなければならない」のような形で職員の方々にテーマを明示されたのか否かが問題になります。それは私には解りませんが、仮にそのようなテーマが明示されていたならば、職員の方々が「在家の会員と響働する」「会員専用コミュニティを創設する」という青写真に到達することは比較的容易であったと思います。少なくとも5年間それが果たせなかったということから、おそらくそのようなテーマは明示されていなかったのではないかと推測します。
また、在家の会員に与えられる課題も、やはり「テーマが明示されない」という点で厳しさを増しているのではないかと思います。「在家の会員が発心してFacebookページを創設し、7つのプログラムを進捗させる」というヴィジョンは、本ブログで私が申し上げているだけであって、おそらく佳子先生はそのような事を一言も仰った事は無かったと思います。私が申し上げたヴィジョンに賛同される方であっても、「それは青写真に適うことであると思うし、ぜひそのようにしてゆきたいと思う。しかし、その前に、佳子先生から一言そのように仰って頂きたい」と思われる方も多いのではないでしょうか。
やはり、佳子先生からの「一言」が無ければ、本当に実行して良いものかどうか不安になり、躊躇してしまうことも仕方が無い事なのかもしれません。しかし、弟子の発心によって進めてゆける可能性が残っている限り、佳子先生がその「一言」を仰ることはおそらく無いのではないかと思います。「数多の菩薩が湧出する」という事は、「弟子がノーヒントで神意・青写真にアクセスし、具現してゆける」という事であり、そこを目指して進んでいるために、与えられる課題も厳しさを増しているのではないかと思います。また、同時に思いますことは、「与えられる課題が厳しさを増している」という事は、「それを果たせる程度にまで弟子が成長を遂げている」ということであり、「数多の菩薩が湧出する」というヴィジョンに以前よりも確実に近づいているという事ではないでしょうか。
7つのプログラム以降の展開(信次先生の法の復活、法華経に基づく伝道、世界伝道など)に至っては、さらに厳しさが増してくるのではないかと予想しています。おそらく、弟子が発心してヴィジョンを描いて歩んでゆかない限り、一切ご指導を頂けないのではないかと私は考えています。
1月9日の記事(数多の菩薩湧出のヴィジョン(2))では、佳子先生が「数多の菩薩を湧出させる」というヴィジョンを描ける理由について、「相手の魂の状態を正確に把握できる」点を挙げましたが、さらに、もう一つ重要な要因として、「青写真にアクセスできるタイミングが非常に早い」という事が挙げられるのではないでしょうか。
一つ一つの青写真には、「絶対にそれを具現しなければならない期限」というものがあると思われます。佳子先生は期限の十年前、二十年前に青写真にアクセスされるため、その時点で弟子にテーマとヒントを与えられますと、十年、二十年という期間を弟子の鍛錬のために使うことができます。既に青写真にアクセスする力を育んでいる弟子であれば数日で出来ることであっても、まだその力を育んでいない弟子は何年もかかってしまうこともあります。従って、それだけ早い時期に青写真にアクセスできるという事が、数多の菩薩を湧出させるためには必要な事ではないでしょうか。
これまで述べてきましたように、「グループ力・響働力に基づくお世話構造」については約15年、「7つのプログラム」については約5年もの間、ほとんど何も進捗していません。私はその事を問題視していましたが、佳子先生からすると、それは、ある意味では想定範囲内のことであったのでしょう。また、在家の会員の立場からすると、2013年5月(正確には解りませんが、その頃であったと思います)にGLA公式Facebookページが創設されるまで、他の会員に対して意見交換を呼びかけようとしても、実質的には呼びかける手段が無かったのではないでしょうか。インターネット上の掲示板などを使う事も考えられないわけではありませんが、内容が社会全体に公開されてしまうため、相当に制約が大きかったのではないかと思います。
では、2013年5月以前の期間とは一体何であったのかと考えますと、それは「職員の方々の鍛錬の期間」ではなかったかと思います。担当職員の方々は、「在家の会員の意見はいらない。自分達のみで7つのプログラムの青写真にアクセスできる」という前提で取り組まれてきたのだと思いますが、それでは7つのプログラムを全く進捗させることができませんでした。その結果から「前提が誤っていた」という事に気づかれ、「在家の会員と響働する」という青写真にアクセスできるか否かが試されていたのではないかと思われます。
GLA公式Facebookページが創設された経緯については、二つの可能性が考えられます。一つ目は「職員の方々の発心」が契機になっている場合です。つまり、「在家の会員が自由に意見交換できなければ、7つのプログラムを進捗させることはできない」という事に気づかれた職員の方々が、会員専用コミュニティの創設を佳子先生に願い出られた可能性が考えられます。ただ、「Facebookページという形態が最善」という事まで見抜くことは難しかったと思いますので、この点は佳子先生がご指導されたことではなかったかと思います。そうであったとしても、「会員専用コミュニティの創設」というヴィジョンを描けただけで60点以上の合格点であり、「5年に渡る鍛錬の成果があった」と考えてよろしいのではないでしょうか。
もう一つの可能性として考えられます事は、「職員の方々の発心」というものがなく、佳子先生が単にGLA公式Facebookページの創設を指示された場合です。これは「5年に渡る鍛錬の成果が出なかった」という事になりますが、「在家の会員の皆様に充分な検討期間を与えるためには、もうスタートしなければならない」というご判断があったのではないでしょうか。
何れの場合においても、在家の会員の皆様は、「7つのプログラムの取り組みがスタートしたのは2013年5月である」と認識されてよろしいのではないかと思います。つまり、7つのプログラムの取り組みはまだ始まったばかりであり、充分な検討期間が残されているはずですので、取り組みやすいテーマから、一つ一つ着実に進捗させてゆけば、よろしいのではないかと思われます。但し、「GLA随想4:7つのプログラム(歴史の整備を除く)」のレポートに認めましたように、「何も付け加えず、何も差し引いていない、佳子先生から頂いたヒントそのものの内容を確定すること」、「頂いたヒントの一言一句を慎重に吟味してゆくこと」は、早い段階で実現して頂く必要はあると思います。この事を省略してしまいますと、大きな取りこぼしが起こるかもしれません。
前記事で述べました事を若干訂正したいと思います。
まず一点目は、「千年構想」の進め方についてです。前記事では「職員またはプロジェクトとしてGLA共同体を支えておられる方々の大多数が共感されない限り、そのテーマはスタートしない」という方針案を述べさせて頂きました。しかし、千年構想の様々なテーマは、特定の方々に責任と負担が集中する場合が多いのではないかと思われます。特に、地域拠点のお世話人やプロジェクトの方々に、責任と負担が集中するテーマが多いのではないでしょうか。そうしますと、多くのテーマについては「責任と負担を背負われる方々が発心され合意を形成されない限り、そのテーマはスタートしない」という方針の方が妥当ではないかと思われます。
まとめますと、多くのテーマについては、次の順序で、GLAの方針が決定されてゆくことになるのではないでしょうか。
(1)責任と負担を背負われる方々が発心され、合意を形成され、事務局に方針案を提案する。
(2)事務局では、提案された方針案をボーディ・サットヴァ・ウィズダムに整合する水準に引き上げる。
もう一点、GLA公式Facebookページについての考えも訂正したいと思います。これまで、「GLAの活動について原則的に自由に議論できるよう、ガイドラインの改正が必要」という考えを述べてきましたが、もう一度考え直してみますと、ガイドラインの改正の必要は無いのではないかと思われました。これは、あるテーマについて議論したいと思う方は自分でFacebookページを開設し、その案内と参加申込の受付をGLA公式Facebookページで行い、具体的な議論は自分のFacebookページで行えばよろしいのではないかと思われるためです。GLA公式Facebookページにて参加申込される人はGLA会員に限られるわけですから、GLA会員専用のコミュニティを会員が独自の判断で創設するすることができます。
また、参加対象をさらに限定したコミュニティを創設することも容易にできます。例えば、「地域のお世話人のみで議論したい。議論の内容をそれ以外の会員に公開することは差し控えたい」と思われる方は、そのようにアナウンスし、参加承認する相手を限定すればよろしいわけです。GLAが会員専用コミュニティを創設するとき、会員専用ホームページに掲示板(BBS)機能を追加するという事が普通に考えられることかと思います。しかし、そのようにせず、Facebookページを創設した理由は、個々の会員の発心によって自由な形でコミュニティを形成できるようにするためではなかったかと思われます。
「数多の菩薩湧出のヴィジョン」についてさらに考察を重ねてみますと、これは「千年構想(7つのプログラムを含む)」と深い関係があるのではないかと思われました。このため、「千年構想」の進め方についての私の考えを若干修正しなければならないのではないかと思われました。より具体的に申しますと、「職員またはプロジェクトとしてGLA共同体を支えておられる方々の大多数が共感されない限り、そのテーマはスタートしない」という事です。
具体例として、現時点で「信次先生の法の復活」という事を「GLAの方針」として採用し発表した場合、何が起こるかを考えてみたいと思います。「信次先生の法の復活」という事は、まだ大多数の方々が共感されていないことではないでしょうか。それが「GLAの方針」として発表されると、「佳子先生の法に共感できない人のために、そこまでする必要があるのだろうか。しかし、それがGLAの方針という事であれば、心を合わせてやっていこう」という具合に考える方が多いのではないかと思われます。それでも「信次先生の法の復活」はある程度進めてゆけると思いますが、数多の菩薩を湧出させる事には、なかなか結びつかないのではないでしょうか。
「信次先生の法の復活」を数多の菩薩を湧出させる事に結び付けてゆくためには、大多数の方々に「GLAの方針がどうであれ、自分としては信次先生の法の復活を果たしたい」という「願い」を持って頂く必要があるのではないでしょうか。GLAの方針が決まっていない状態でその「願い」を自ら持てるという事は、菩薩になってゆくための一つのステップであるように思えます。それを実現してゆくための一つの方策として、GLA公式Facebookページにて、賛否両論を含めて自由な議論をして頂くということが必要ではないでしょうか。議論を通じて、「願い」を確認し、深めてゆくことができるのではないかと思います。
もう一つの方策は、「できない事は横に置いて、できる事を実践する」という事もあると思われます。例えば、昨年11月18日の記事(「通信ネットワーク環境の整備」に関する追加の考察(2))にありますように、「映像配信システムを活用し、自宅等に身を置いたまま聴講を実現する」という事は、現時点でも多くの方々に共感して頂けることではないかと思います。私は、このテーマについては、「会員の皆様の要望を待たず事務局で実現して頂ければよい」と考えていましたが、「数多の菩薩湧出」に結び付けてゆくためには、多数の会員の皆様の要望を待って実現して頂くことが正しいのではないかと考え直しました。映像配信システムの活用を要望される会員の方々は、自分自身が必要としていないにもかかわらず、他の会員のために要望されるわけです(勿論、自分自身が必要とするため要望されても一向に構わないと思います)。名も知らない他の会員のために動くという事が「菩提心発掘」という事であり、菩薩になってゆくための一つのステップであるように思えます。
「映像配信システムの活用」と「信次先生の法の復活」とは一見すると何の関係も無いことのように見えるかもしれません。しかし、「映像配信システムの活用」を会員皆様の声によって実現してゆくという事は、上述のように「菩提心発掘」という事であり、また、「大いなる存在、神と直接結びついて神の御意志を具現してゆく」という感性を恢復してゆくという事でもあると思います。このように「できる事」の実践を重ねてゆくことによって内界が耕されてきますと、「できない(はずの)事」を「できる事」に転換してゆけるのではないでしょうか。この点で、「映像配信システムの活用」を実現することは、「信次先生の法の復活」の実現に結びついてくるのではないかと考えます。
上述しましたように、千年構想を通じて数多の菩薩を湧出してゆくためには、会員の皆様の声を結集することが必要であり、それが「押し上げる力の結集」という事ではないでしょうか。そのためには、GLA公式Facebookページにて、GLAの活動について原則的には自由に議論できる事が必要ではないかと思われます。現時点でGLAの活動に関する議論が制限されている理由は、昨年7月10日の記事(GLA公式Facebookページについて(2))にて述べましたように、「GLAの活動に関する議論のルールが定まっていない」ということではないかと思います。従って、早い時期にルールを定め、議論を解禁して頂く必要があるのではないかと考えます。
前記事に引き続いて、コーディネーターを選任するまでの流れについて、さらに考えてみたいと思います。
「青写真にアクセスする力が格別に高い方々」にコーディネーターを担って頂くべき理由の一つとして、そうしなければ、多くの人は他人が示した青写真にただ賛同・追従するだけで終わってしまうという事が挙げられます。しかし、よく考えてみますと、「他人が示した青写真に賛同・追従できる」ということは、「他人が示した青写真に共感できる」という事であり、現在のGLAでは、それを果たせる人ですら希少ではないかと思われます。
現在のGLAでは、外見上、「佳子先生の示された青写真に賛同・追従する」という事はある程度果たせているかのように見えます。しかし、それだけでは真に青写真に共感できているのか、それとも佳子先生に盲目的に追従しているだけであるのか区別できません。その区別をつける最も解りやすい方法は、「佳子先生以外の人が示した青写真に共感できるか否か」を確かめてみることではないでしょうか。おそらく大多数の方が、盲目的に追従しているに過ぎないことが解ると思います。
佳子先生の示されたヴィジョンは例外なく青写真に適うものと考えて間違いありませんが、弟子が示したヴィジョンには、青写真から外れたものも含まれています。「他人が示した青写真に共感できる」ということは、「他人が示したヴィジョンのうち青写真に適うものとそうではないものとを弁別できる」という事が前提になっていますので、その力を育まない限り、実現するものではありません。
そうしますと、コーディネーターを選任する前に、「青写真に共感できる方々」すなわち「青写真に適うものとそうではないものとを弁別できる方々」を数多く輩出することが先決問題であり、重要な中間目標ではないでしょうか。従って、既に青写真にアクセスする力を育んでいる方々は、当面の間は、「アクセスした青写真を開示する」という方向で場をリードして頂くことが正しいのではないかと思われます。また、職員の方々は、単純に「青写真に共感できる」という事にとどまらず、「青写真に適うヴィジョンをボーディ・サットヴァ・ウィズダムに整合するヴィジョンに引き上げる」という事も果たして頂く必要があるのではないでしょうか。この中間目標は数年程度で達成できることであるのか、十年以上かかることなのかよく解らないのですが、数多の菩薩を湧出してゆくためには、避けて通れない中間目標であると思われます。
青写真に共感できる方々が数多く輩出されますと、今度はその方々が「響働して青写真にアクセスする」という事に挑戦してゆく段階に入るのではないでしょうか。その段階に至ったとき、それまで場をリードしてこられた方々にはコーディネーターとしての働きを担って頂くことになるのだと思われます。その態勢が整ったとき、実際に数多の菩薩が湧出してゆくのではないでしょうか。