「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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私は、7つのプログラムの各テーマについて事務局の案がある程度まとまった段階で、GLA公式Facebookページにて在家の会員の皆様に議論して頂くことが呼びかけられているのではないかと思います。
以前、「7つのプログラムのメインテーマは菩提心発掘である」と佳子先生が仰った記憶があります。それは、7つのプログラムの方針を決定してゆく過程そのものが在家の会員の皆様の菩提心発掘に結びついてゆかなければならない、という意味ではないかと考えます。在家の会員の皆様一人一人が、他の会員のことやGLA全体のことを考えながら、議論を進めてゆくことは、それ自体が菩提心発掘に繋がってゆくのではないでしょうか。
但し、事務局では、単に「会員の皆様の要望が多いから」という理由のみで、方針を決定してはならないものと考えます。これは、11月18日の記事(「通信ネットワーク環境の整備」に関する追加の考察(2))が解りやすい例ではないでしょうか。仮に、「中継会場に配信されている映像を会員の自宅等にも配信すべき」との意見が多く寄せられたとしても、それをその通り実行してはならないものと考えます。事務局が果たすべきことは、会員の皆様の意見を汲みながらも、佳子先生の具現をベースにした「具現の王道」ということから外れてはならないのではないでしょうか。
GLA誌2001年6月号には2001年善友の集いの特集記事が組まれており、61ページには、「二十一世紀に向かうGLAのヴィジョン」として、次のものが示されています。
ヴィジョン①:世界に向かうGLA
ヴィジョン②:共同体の変革一 ――押し上げる力の結集
共同体の変革二 ――グループ力
ヴィジョン③:一人ひとりがジェネシスプロジェクトメンバー
ヴィジョン④:千年構想
ヴィジョン⑤:二〇〇一年の歩み
そして、60ページには、久水講師の次のようなご発言が掲載されています。「二十一世紀に入ったGLAがはたらきを全開するためには、これまで以上に職員のはたらきと在家の方々の押し上げる力が車の両輪のようになって響働してゆく必要があります。あらゆる側面で職員と在家の両輪がたくましくなり、押し上げる力と引き上げる力がつながってエネルギーが全開してゆくように、ぜひお世話をさせて頂きたいと願っております。」
このご発言は、GLA誌の中では「共同体の変革二 ――グループ力」の項の中に含まれていますが、「押し上げる力の結集」について発言されたものであると考えます。また、このご発言は、元々佳子先生が仰ったことではないかと推測します。GLA公式Facebookページを介在として在家の会員の皆様に議論して頂くということは、正にこの「押し上げる力の結集」を果たしてゆくことではないでしょうか。
私がGLAを退会させて頂いたのは、本ブログの冒頭で申し上げましたように、インターネット上での情報発信をやめるように、との御指示をGLA総合本部から頂いたことが発端でした。その点は事実なのですが、退会させて頂いた最大の理由は、「GLAを退会してでも、お前の考えをインターネット上で発表せよ」という「神の御意志」を感じたからでした。その事をこれまで書かなかったのは、本当にそれが「神の御意志」として正しいものであるのかどうか、釈然としない想いが残っていたからです。
釈然としなかった理由は、私自身が必要な情報にアクセスできないということです。もし、「7つのプログラム」などのヴィジョンを描いて発表することが私の使命であるとすると、ボーディ・サットヴァ・ウィズダムや、過去の集いやセミナーの記録などを私が拝読することは不可欠であると思われました。それらの情報に触れずにヴィジョンを描くと、部分的には正しい事を言えるかもしれませんが、様々な誤りや視点落ちが生じることは避けられないはずです。それゆえ、なぜGLAを退会してでも私の考えを発表しなければならなかったのか、そもそも何を発表しなければならなかったのか、実は私自身がよく解っていなかったわけです。
おそらく、私が発表しなければならなかったことのうち最も重要なものは、11月18日以降の記事ではなかったかと思われます。「ヴィジョンを描くためには情報が必要」という考えは正しいはずであり、情報が得られない私は不完全なヴィジョンしか描くことができません。一方、職員の方々は、様々な情報にアクセスできるわけですが、「それらの情報を如何に使ってヴィジョンを描くか」ということを御存知なかったのではないでしょうか。私自身も、つい最近まで「具現の王道」という形での情報の使い方に気付いていませんでした。
そこで、その点に気付いて明らかにすることが私の役割であったのではないか、と今になると思えます。そうしますと、GLAを退会してでも、私の考えをインターネット上で発表するということは、「神の御意志」として正しいものであったのではないかと思えます。
なお、将来、私がGLAに復帰させて頂いたとしても、私自身が情報にアクセスできる立場を頂いて「7つのプログラム」などのヴィジョンの構築に参画させて頂くことは、おそらく無いのではないかと思います。それは、「GLA随想9 千年構想」のレポートにて発表させて頂いたように、今後GLAでは、「神の御心を因とする、宇宙に流れる因縁果報のはたらきの布陣」を実現してゆかなければならないからです。これは多くの人が連鎖的に神の御心に共振して具現を果たしてゆくことであると考えられますので、私があまり多くの事に手を出してしまいますと、「はたらきの布陣」の実現を阻害してしまうのではないかと考えています。
「具現の王道」について、未来千年に渡って必要と思われることについて考えてみたいと思います。
神意・青写真にアクセスする力をある程度育んだ人であれば、佳子先生の具現をベースに置かなくても、ある程度のヴィジョンを描くことはできてしまいます。そのヴィジョンは、部分的には青写真に適った正しいものであるかもしれません。しかし、佳子先生の具現をベースに置いていないヴィジョンには、何か大きな視点落ちが生じてしまう可能性が大きいということを心すべきではないでしょうか。「正しいヴィジョン」を描くことと、「抜けの無いヴィジョン」を描くこととの間には、超え難い差があるように思えます。「抜けの無いヴィジョン」を描くことは常人には不可能なことですが、佳子先生の果たされた具現をベースに置くことにより、不可能を可能に転換してゆける道が拓けてゆくように思えます。
誰かが提案した「あるヴィジョン」をGLAの方針として採用すべきか否か決定する場合にも、「具現の王道」に適うか否かが判断基準になる場合が多いのではないかと思います。つまり、「そのヴィジョンは、佳子先生の如何なる具現をベースにしているのか」「その佳子先生の具現をベースに置くことは本当に妥当なことなのか」「佳子先生の具現に係る条件と、そのヴィジョンに係る条件との違いは何か」「具現内容の変更の仕方は、条件の相違に応じた適切なものであるか」などが議論されることになるのではないでしょうか。そのような議論を経て意志決定を果たしてゆくことにより、「GLAの方針」の水準を高く保つことができるのではないかと思われます。
前記事に引き続き、「拠点の充実」の中の「研鑽・奉仕のフロントとしての機能」について考えてみたいと思います。「研鑽・奉仕」は1994年のニュープロジェクトからスタートしましたが、その当初、ニュープロジェクトは地域毎に異なるプログラムで進行しており、佳子先生も地域毎に異なる内容を講義されていました。その後、ニュープロジェクトは全国一律のプログラムになりましたが、その結果、「地域毎のよびかけに応える」ということがどうしても手薄になるという制約も生じてしまったのではないでしょうか。地域拠点の「研鑽・奉仕のフロントとしての機能」を検討するときには、当初のニュープロジェクトにおいて、佳子先生が「地域毎のよびかけ」に如何に応えてこられたのかを振り返り、それを弟子が実践するには何が必要か、という順序で検討してゆく必要があるのではないでしょうか。「GLA随想4」のレポートでは、「止観シートの分かち合いを地域拠点で独自に実施する」という案を提示させて頂きました。この案は正しいのではないかと思われますが、本当にそれだけで充分であるのか否か、当初のニュープロジェクトにおける佳子先生の実践に基づいて判断されなければならないものと考えます。
次に、「拠点の充実」の中の「お世話のフロントとしての機能」について考えてみたいと思います。このテーマについては、まず「人生同伴態勢の充実」の「グループ力・響働力に基づくお世話構造」「円環的人生観に基づく魂の一貫したお世話」のヴィジョンを、佳子先生の実践をベースとしてしっかりと描くことが先決であると思います。そうすると、地域拠点、総合本部に如何なる機能が必要であるのか見えてくるのではないでしょうか。「GLA随想4」のレポートでは、地域拠点の端末から各種の電子データを閲覧できるようにすること、そのためにセキュリティ面の強化が必要になる、という案を提示させて頂きました。この案も正しいのではないかと思われますが、本当にそれだけで充分であるのか否かは、やはり佳子先生の実践をベースとしたヴィジョンを描かない限り解らないのではないでしょうか。
次に、「拠点の充実」の中の「伝道のフロントとしての機能」について考えてみたいと思います。このテーマについては、「社会発信力の強化」について述べましたように、まず「社会発信全体のヴィジョン」を描き、その中で「地域に対する広報」を如何に果たしてゆくのか明確にする必要があるのではないでしょうか。そうしますと、地域拠点に如何なる機能が必要なのか見えてくるのではないでしょうか。「GLA随想4」のレポートでは、「御講演会の中継会場」としての機能を果たすという案を提示させて頂きました。この案も正しいのではないかと思われますが、本当にそれだけで充分であるのか否かは、「社会発信全体のヴィジョン」を描かない限り解らないのではないでしょうか。
次に、「GLA千年構想基金の充実」について考えてみたいと思います。「GLA随想4」のレポートでは、特定のテーマに特化した書籍を編纂する「出版事業」を提案させて頂きました。書籍を編纂するにあたっては、佳子先生の御著書において、何がどのような順序で説明されているのか、また、何故そのようになっているのかという事をよく吟味し、その智慧に学ぶことが必要ではないかと思われます。また、既に開けゆくみちの方々が書籍を執筆されていますが、執筆にあたっては佳子先生からご指導を頂いたのではないかと思われます。そのご指導の内容についても、よく吟味しておく必要性を感じます。