「GLA随想」は2013年5月~2014年4月にかけて「GLAを憂う元会員」氏が発表されていたブログです。作者がコピーは自由であると表明されていたので、コピーを公開させて頂きます。
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前記事(歴史の整備:具現のインデックスの作成について(1),(2))では、「具現の王道」を歩む必要性について触れましたが、さらに考察しましたところ、「7つのプログラム」全般について「具現の王道」を歩むことが呼びかけられているのではないかと思われました。「7つのプログラム」の案については、「GLA随想4」のレポートなどで報告させて頂きましたが、「具現の王道」という視点から方針を見直してゆく必要があるようにも思えました。
「7つのプログラム」のうち、「通信ネットワーク環境の整備」については11月18日の記事、「研鑽の充実:テーマ別研修」および「人生同伴態勢の充実:グループ力・響働力に基づくお世話構造」については前記事にて触れさせて頂きましたので、他のテーマについて考えてみたいと思います。
まず、「研鑽の充実:地域拠点での止観シート研修」について考えてみたいと思います。止観シートの研修については、現在、八ヶ岳で実施されている「止観シート研修I」の他、これまで地方本部単位で実施されてきた「止観シート研修」など、様々なものがあったのではないでしょうか。「具現の王道」を歩むためには、それぞれの研修が、どのような条件の下、どのようなウィズダムに基づいて実現されてきたのかを、まず把握する必要があるのではないでしょうか。そして、「地域拠点での止観シート研修は、他の研修との間でどのような条件の違いがあるのか」を把握して、ヴィジョンを描いてゆく必要があるのではないかと思われます。
次に、「人生同伴態勢の充実:円環的人生観に基づく魂の一貫したお世話」について考えてみたいと思います。このテーマについては、まず佳子先生ご自身が「円環的人生観に基づく魂の一貫したお世話」というものを如何に果たしてこられたのか、多くの事例に基づいて把握することから始める必要があるものと思われます。次に、そのお世話を弟子が果たしてゆくためには何が必要であるのか検討する必要があるのではないでしょうか。「GLA随想4」のレポートでは、お一人お一人の「お世話の記録」を必ず保存して後年に参照できるようにすること、および人生記録の作成に同伴することを提案させて頂きました。これらは何れも正しいことであると思いますが、他にも必要なことが見えてくるかもしれません。
次に、「社会発信力の強化」について考えてみたいと思います。このテーマについても、やはり「佳子先生ご自身が地域、社会、世界に如何に社会発信してこられたのか」を把握することからスタートする必要があるのではないでしょうか。そうすると、「弟子が社会発信を担う上で如何なるシステムが必要か」という事が見えてくるのではないでしょうか。佳子先生が果たされてきた社会発信の内容を振り返りますと、おそらく個々の内容(例えば御著書、御講演会、新聞広告など)が個別に成立しているわけではなく、「社会発信全体のヴィジョン」というものが存在し、その全体のヴィジョンに基づいて個々の内容が決定されていったのではないかと思われます。そして、その全体のヴィジョンはボーディ・サットヴァ・ウィズダムなどに開示されているのではないかと推測します。
そうしますと、弟子が構築する「システム」も「社会発信全体のヴィジョン」を描き、それに基づいて個々の内容を決定してゆくシステムになるのではないかと思われます。「GLA随想4」のレポートでは、「GLAの教義」のページについて「運命を変えよう」のページを骨格として、さらに詳細な内容を肉付けしてゆくように構成してゆく案を提示させて頂きました。この案は結論としては正しいのではないかと思われますが、全体のヴィジョンの中の位置づけが不明確であったと思います。まず、全体のヴィジョンの中で「GLAホームページ」が如何なる役割を担っているのか明確にした上で、「GLAの教義」のページの内容を決定してゆく、という手順を踏むことが必要ではないかと思われます。
11月7日の記事では、映像配信システムが本来の目的(高齢者や病気の方の自宅等に四聖日等の映像を配信すること)のために使われていない理由は、「自ら発心して動くことができない職員」の鍛錬のためではないかと述べさせて頂きました。しかし、もう一度考え直すと、この考えも違っているのではないかと思えてきました。この件が滞っている理由は、おそらく次のような事情によるものではないかと考え直しました。
映像配信システムを本来の目的のために使用することについて、おそらく何人かの職員の方々が既に佳子先生に願い出られたことは正しいのではないかと思われます。佳子先生はその都度「ウィズダムを作成するように」と指示されたのではないでしょうか。そこで、職員の方々がウィズダムを作成すると、佳子先生は理由を明示されずに「これでは駄目」と却下されたため、職員の方々にとって、どのように進めてゆけばよろしいのか解らなくなってしまっているのではないでしょうか。
実は、私自身も、自宅等への映像配信について、「中継会場に配信されている映像をそのまま配信すればよいのではないか」と安易に考えていました。今一度、ウィズダムの構成に従って、映像配信のあり方について再考してみたいと思います。まず、会員の自宅等に映像配信する「願い」「目的」というものを突き詰めてゆきますと、それは「自宅等に身を置いたまま聴講を実現する」ということになるのではないでしょうか。
「聴講」についてはテキストブック「GLA会員の基本ライフスタイル」の64~67ページに解説されています。テキストブックによりますと、「聴講」という学びのいのちとして、神理実践の最前線に実際に立ち会うこと、その場の皆様と佳子先生との間に響き合いが起こること、映像や文字では十分に感じることのできない波動や温度を体感すること、などが挙げられています。そうしますと、「聴講」というものは、実際に御講演会場に足を運んだ方でなければお享けできないのではないか、という考えも生じてきます。
しかし、自宅等に身を置いておられる方であっても、御講演会場の皆様と響き合い、一体化できれば、「聴講」を実現できるのではないかと考えられます。つまり、場所は離れていても「映像」という媒体を通じてその場に満ちているエネルギーを実感するとともに、エネルギーを場に供給する一因子となることはできるのではないでしょうか。そうしますと、「自宅等で参加される方が、御講演会場の皆様と響き合い一体化しながら、プログラムを享けて頂けるようにすること」がウィズダムの「目標」になるのではないでしょうか。
次に、この「目標」を実現するための方策として、配信される映像の内容について検討してみたいと思います。御講演会場の皆様と響き合い、一体化してゆくためには、プログラム開始以前より、御講演会場の外観、受付やロビーの様子、客席の様子などを映像配信することにより、プログラムに向かう意識を高めて頂くことが必要ではないでしょうか。これは、プログラムの途中の休憩時間についても同様です。また、プログラムが終了した後も、暫くは客席の様子などを映像配信し、余韻を味わって頂くことも必要になるかもしれません。
また、プログラム進行中の映像についてですが、中継会場に配信される映像は、ほぼ舞台上の映像ばかりであり、メイン会場の客席の様子というものはほとんど配信されません。これは、中継会場には「中継会場の場」というものが醸成されるため、メイン会場の客席の様子というものを、さほど必要としていないからではないかと思われます。しかし、自宅等で一人で参加される方の事を考えますと、身を置いている場所では「場」というものが醸成されないため、「メイン会場の場に響き合い、一体化する」という事が欠かせないのではないでしょうか。従って、自宅等に配信される映像は、中継会場に配信される映像とは異なり、メイン会場の客席の様子を頻繁に含めて頂く必要があるものと考えられます。